法華経

 4月のNHKのEテレ「100分で名著」は『法華経』だった。ワシャはすぐに影響される性質なので、早速、講義をしてくれた植木雅俊先生の著作を掻き集めて読んでいる。
 ちくま新書の『ほんとうの法華経』は棚にあった。付箋があちこちに打ってあるので、読了している。これは再読しよう。その他に『梵漢和対照・現代語訳 法華経』(岩波書店)、『思想としての法華経』(岩波書店)はちょいと値が張る。だから連休用に図書館で借りてきた。読んでみて座右に置くべきと思ったら買おうと思っている(ワシャの知り合いで「本は買ってしか読まない」というヤツがいるけれど、アータ、『梵漢和対照・現代語訳 法華経』は上巻だけで5600円もするんですぞ。そんな本、読まずに買えまっかいな)。
 これらについては、今、まさに併読中なのじゃ。さらに興味が跳ね回って、いろいろな仏教関連本を20冊くらいつまみ喰いならぬつまみ読みをしているんですね。
 つい最近までこういった食い散らかす読み方に疑問を感じていたが、森博嗣『集中力はいらない』(SB新書)を読んで、「そんな読み方があってもいいんだ」と勇気づけられた。
 話が逸れた。夕べ風呂に入る時に、さすがに図書館で借りた「法華経」関連本は持ち込めない。濡らしたりして汚損してはいけないから。でね、脱衣場の窓の枠のところに30冊くらい本が並べてあるんだけど、その中に上村勝彦『真理の言葉 法句経』(中央公論社)があったので、「法句経」と「法華経」……で一字違いだから(笑)、それをプラスチックケースに入れて風呂場に持ち込んだ。
 これにも白い付箋が何枚も貼ってある。何年か前に読了しているのだろう。まぁいいや。湯舟につかって本を開く。20分くらい読んでいたその時、ワシャは大変なことに気がついた。
「えええ!」てなもんですわ。
 白い付箋が貼ってあると思ったのは、なんと緑色の付箋だった。本からはみ出した先っちょはすべての付箋が真っ白なんですよ。ところがページに挟まれた部分は鮮やかな緑のままなのである。長期間、窓辺に挿してあったので、紫外線を受けてしまう部分の色がすっかり落ちちゃったんだね。
 恐るべし太陽光線。直射日光は当たっていないのに、見事に付箋を脱色しおった。
 太陽の光は遍(あまね)く大地に届けられているんだね。北向きの脱衣所の窓にさえエネルギーは配られているのだ。

 おおお!これは「法華経」の「薬草の喩」(やくそうのたとえ)ではないかいな!
《また、同一の大地に生えているそれらの薬草の群落、種子の集団は、すべて同一の味の[雨]水によって潤されるのである。》
 同一の大地に立つものには、すべて同一の光があまねく照らしだすのだ。これで、ワシャもさらに菩薩に近づいたようじゃのう。めでたしめでたし。アホ。