無礼講

 貴賤・上下の差別なく礼儀を捨てて催す酒宴のことで、初出は「太平記」にあるという。そもそも、この無礼講は上に立つ者が、下の人間の心の内をうかがい知るために始めたものであり、上位者の都合で始まった。余裕のある上位者は「飲めよ飲めよ」と酒を振る舞い「今日は無礼講である」と言って部下たちの本音を探る。上位者は酒をちびりちびりとやりながら部下の本音を聴けばいい。それが、時には自身への刃になることもある。失敗した事例への批判があるかもしれない。だが、そんなものは上位者の余裕で、笑って聞き流せばいいだけのこと。無礼講をいいことに的外れな意見をしてくるやつは、黙って左遷すればいい。耳に痛いことも笑って聞き流すくらいの度量がなくて、リーダーなど務まるものではない。
 ある会社の社長が、「今後、社内での無礼講を禁じる」と言ったそうな。なんでも、部下の部長だかが飲んだ席で少し耳に痛い意見を述べたんだとさ。それが気に障って「無礼講禁止令」を出した。あ〜あ、あんまりこの会社は長くないね。社長自らが、貴重な情報収集の機会を放棄してどうするねん。
むしろ「今日の宴席は上下の関係は外に出して、お互いに胸襟を開いて語り合いましょう」くらいのことは言えよ。