怒涛の東京

 わずか3日の東京だったが、内容は濃かった。
 まず、初日には靖国神社を訪なう。靖国に行ったからといって、ワルシャワは右寄りだと言ってはいけない。あのお子様サヨク田嶋陽子先生だって、先週参拝しているのである。ワシャの行ったおりにも、ハングルを話す一団が参拝していたくらいだからね。
 さて東京に着いて、地下鉄を乗り継ぎ九段下駅で降りる。九段坂を上って大鳥居の手前で一礼をして先に進む。残念ながらそこで一礼をしたのはワシャだけだった。無礼にも神様の通る正中をそのまま通過する連中もいる。遠慮をして端のところを通らせてもらうという謙虚さを持たなければいけない。
 神門でも拝礼し、その手水場で手と口を漱ぐ。そして拝殿へ。260万英霊に拝跪し、神前を辞す。その後、御朱印所に行き、御朱印をもらう。衒いのない靖国らしい御朱印だ。
 それから遊就館に立ち寄る。
 遊就館の「遊就」である。ご存知の方は耳タコだろうが少し触れる。
 出典は『荀子』である。『荀子』巻第一勧学篇の「君子居必択郷、遊必就士、所以防邪僻而近中正也」からとっている。読み下せば「君子の居、必ず郷を択び、遊、必ず士に就くは、邪僻を防ぎて中正に近づくゆえんなり」となる。大意は、「君子は土地を選んで居を定め、すぐれた人物だけ交わるのは、ためにならないものを遠ざけ、正しいものに近づくためである」というところか。もっとくだけば「よい場所(ポジション・立ち位置)を選び、良識、才能、徳行の高い人と交われ」ということである。「遊就館」の前に立つたびにそういうことを思い出すのだった。それだけでもワシャにはここにくる価値がある。

 先ほど田嶋陽子さんが靖国神社に行ったと書いた。「たかじんのそこまで言って委員会」のコーナーで、ざこば師匠と一緒に、京都産業大学名誉教授の所功さんの案内で靖国参拝遊就館の見学を行った。もちろん小児サヨク病の田嶋さんは、靖国参拝を一度もしたことがない。それでも番組内で自分の歌唱ビデオを流すことを条件に靖国参拝を承諾したんでしょうね。田嶋さん、言っていることとやっていることがバラバラだし、伝聞、思い込み、感情でしか発言のできない人なので、まぁどうでもいいか。
 それでもこのことだけはバカに言っておきたい。
 田嶋が「英霊に捧げられた花嫁人形」を見たときのことである。以前に、故三宅久之さんが涙を流しながら、女性の手を握ることもなく戦場に散っていった少年兵たちへの感謝と追悼の気持ちを語っていた。その同じ部屋で、田嶋は笑いながら「花嫁人形」の白無垢を指さしながらこう言った。
「しかもだいたいね、白無垢なんて、男が、これから俺の色に染めてやる、角隠しというのは、怒るな自我を出すなということの象徴」
「着物なんて、女の二本足を縛るもの、都合のいい時だけ前を観音開きにしてさ」
 これほど品のないことをこの場所で言わなければならない真意はなんだろうか。田嶋の前に並べられた花嫁人形のガラスケースの中には、少年兵の遺影がそれぞれ収められている。それを眼の前にして畏れない田嶋陽子とは……。イデオロギー、それも表層的な偏向知識だけを好んでなめているとこんなくだらない人間になってしまうんだ、と怒りを通り越して悲しくなってきた。

 ああ、まだ初日の靖国が終わらない。この続きはまた明日。