もうやめようよ

 二日前の寝しなである。枕元に『司馬遼太郎が考えたこと』の文庫版が全巻そろえてある。その中から適当に1冊を選んで読んでいた。手にしたのはたまたま第5巻だった。ページなんか適当だ。開いたところから読みはじめる。その時は「わが街」と題された短いエッセーだった。何度も読んでいる話で、司馬さんがなぜ東大阪に居を構えているのかということが主題となっている。次は6行ばかりの「連載予告」があって、その次が「天災と戦争のイメージ」という文章だった。書き出しはこうだ。
《私は、大正十二年(一九二三)の関東大震災は、同時代で経験(?)した。ただし、零歳だったし、それに大阪生まれだから実感がない。》
 読みかけて「あ、もうすぐ9月1日だなぁ」と気がついた。

 そしてこのニュースだった。
関東大震災朝鮮人虐殺 犠牲者遺族会が発足=韓国》
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170830-00000062-yonh-kr
慰霊をするのは当然である。でもねぇ……またあえて問題にすることで日韓の間にしこりをつくるんだね。
 事は94年前である。零歳で経験(?)をした司馬さんですら鬼籍に入られた。おそらく成人で関東大震災を体験したという人は、現在いないだろう。世代としては4世代ほど前の話である。
ワシャの祖父が明治33年生まれで、関東大震災の時には23歳だった。旅人だったので東京方面にも行っていただろうから、大震災の話もいろいろ知ってはいると思うけれど、もう30年以上前に他界した。存命ならば117歳になっている。
 4世代も前の東京が壊滅した。多くの市民が死んだ。悲劇である。ワシャは両国方面に出かけたときには、努めて東京都慰霊堂にお参りすることにしている。この地で多くの人が亡くなり、数多の無縁の遺骨がここに収められている。。

 そこで「朝鮮人虐殺」の話である。痛ましい事故・事件はあった。ただ、このことを検証する時、忘れてはならないのが「社会主義者朝鮮人と協力し放火している」という流言が伝わっていった事実と、その流言の背景というか篋底に、当時の日本社会が内蔵する問題も反映されていた、ということである。
 上記のニュースの中に出てくる韓国人は「祖父の兄弟5人が日本の警察に殺された」とし、「父に続いて孫の私が真相を究明する使命を引き継ごうと思う」と言っている。
 祖父の兄弟が関東大震災の時に日本人に殺されたかもしれないなら、血縁的にはちょっと遠いけど悔しいだろう。しかし真相究明をしたくとも証拠も証人も遠い歴史のかなたに消えてしまったのだ。
「祖父の兄弟が関東大震災の時に死んだ。それは虐殺を受けたからだ」
 かもしれない。しかし、本当に、暴動を計画していなかったのか。火事場泥棒をしていなかったか。
 いろいろあったことは理解できる。しかし百年が経過しようとしていることである。水に流せないものだろうか。

《日本の市民団体「関東大震災朝鮮人虐殺90年神奈川実行委員会」の山本すみ子代表は「遺族会の発足をきっかけに、韓日両国が共同で虐殺の事実をはっきりさせるよう力を合わせたい」と述べた。》
 つらい過去はあった。そのことは忘れずに二度と同じことが起こらないように記念する。しかし、国家と国家の間に楔を打つようなことは止めようよということである。それを日本人のお為ごかしな正義感満載の人がやるからまたややこしくなる。なんだか虐殺の朗読劇までやっているようだが、これだって創作でしかない。原典は脚本を書いた人の父親の日記だそうだが、そこから大きく想像の羽を広げてファンタジーになっている。そんなものは歴史でもなんでもない。テレビCMでやっている「個人の感想です」のレベルだ。
 慰安婦がきて、徴用工がきて、今度は関東大震災かよ、飽きない連中だなぁ。