臨床宗教師

 夕べの「プライムニュース」は珍しく政治問題以外がテーマだった。「高齢多死時代の死生観」と題して日本人と死について取り上げていた。生きること、死ぬこと、これは日本人ばかりではなく人間の根源的なテーマですね。

 ワシャにしたっていろいろ悩んでいる。7段の本棚2本半は宗教関連だし、それとは別に「死」をテーマにした棚もある。
 キェルケゴール死に至る病』(岩波文庫)、E・キューブラー・ロス『「死ぬ瞬間」をめぐる質疑応答』(中公文庫)、渡辺照宏『死後の世界』(岩波新書)、吉村昭『死のある風景』(文藝春秋)、日野原重明『死をどう生きたか』(中公新書)、松原泰道『人間は生まれたから死ぬ』(ごま書房)、ひろさちや『人は死んでもまた会える』(青春出版社)……。
 しつこいので止めますがね、宗教家、哲学者、医者、知識人などが「死」についていろいろなことを書いているんですわ。すでに彼岸に逝ってしまった人もいるが、残念なことに逝った後に書かれた文献がない。それがあれば歴史始まって以来の大ベストセラーになるのに。
 その中に江戸中期の禅僧、白隠慧鶴(はくいんえかく)の『白隠禅師法語全集』がある。白隠臨済宗の中興の祖と言われており、書も絵もまことに味のあるものを残している名僧である。
http://zen.exhn.jp/
 上記のポスターの一番でかい顔を描いた人ね。
 この白隠禅師が著作の『於仁安佐美』(おにあざみ)で「死」に関連したことを書いている。
「誰でも往々に、生あることは知っていても、死があることを知らずに、有為名利のことばかりしていて、死ぬときに三塗の苦しみを受けることになる」
「生きながら死して働く人こそは、これぞまことの仏なり」
「死字に参究しなければ、一大事があって、身命を顧みず仕事を果たすべき時になっても、何のはたらきもできない。大いに驚きあわててへまをやり、臆病者のふるまいを仕出かし、これまでの信用を失い、親類縁者の顔をつぶすことになる。これすべてみな、大事の至るまでに死生をはっきりと明らめることができなかった大不覚者のなれの果てである」
 これらは大洲藩の家老への手紙に書かれたもので、だから全体に武士の死に対する心構えのようになっている。己の命を鴻毛より軽いものと考えることができなければ武士として気概を問われた時代の話である。

 話を元にもどす。「プライムニュース」で取り上げた「高齢多死時代の死生観」についてである。ゲストは元厚生労働大臣の長妻昭衆議院議員、東北大学の鈴木岩弓教授、臨床宗教師の金田諦晃氏の3人だった。
 民進党の長妻氏の話はどうでもいい。「死」に対する政策的な話はまったく意味がない。鈴木先生の話も、死の間際のメンタルケア制度の話なので、それほど興味がわかなかった。
 しかし、患者の「死」に直面する臨床宗教師の金田師の話は深かった。ご自身が、永平寺で修行された曹洞宗の僧侶であり、お若いが静かな湖面のような面差しを見ても、衆生をどう安楽に「死」を受け入れさせるかという本来の宗教者としての自覚のようなものを感じた。
 具体的な話は出なかったが、医療の現場では「死」を受け入れられない患者が痛みからではなく、精神的なことから「七転八倒」とまでは言わなかったが、大変なことになるケースもあるという。そういった時に臨床宗教師という役割が重要になってくるということだが、生を謳歌している時になんの覚悟もしてこなかった人、宗教に触れてこなかった人間が、死ぬ間際に宗教家に救いを求めても遅いような気がする。
 金田師は50代の男性の死ぬ間際について、言葉を濁しながらも、訥々と語った。家族や周辺の人にかなり酷いことをしてきた方のようで、金田師に涙ながらに懺悔をしていたそうだ。結局、その人の中で整理がついたのかつかなかったのか、間もなく昏睡に陥って彼岸に旅立たれたという。
 
 対照的なのが堀越麻央さんである。臨終を家族に看取られながら、海老蔵丈や子供たちに「愛してる」と言い残して息を引き取られた。おそらく麻央さんは生を全力で駆け抜け全うしたのであり、そのことは残されたブログからもよく解る。白隠禅師の言う「生きながら死して働いた」人なのである。

 戦艦大和で「死に方用意」を説いた臼淵少尉は21歳だった。戦後の日本人の命は急に重くなった。ワシャなんかも不出来な日本人の筆頭のようなもので、死に臨めば潔さなど微塵もなくすわさ。心穏やかに死を迎えるためにも、もっと修行をしなければいけない。そう思っている。