白隠の言葉

 臨済宗中興の祖といわれる白隠慧鶴禅師が書かれた法語集がある。『邊鄙以知吾』(へびいちご)という変な名前のもの。名前は変だけれども、内容はすごい。華奢を禁じ、浪費をおさえ、ときの支配者層(武士)たちの生き方について厳しい批判を展開した。それで発禁になってしまったようです。

 その中に《「死字」に参ぜよ》という項がある。ワシャはここを特に気に入っている。

 白隠は言う。

《特に死字は、何といっても武士が参究し決定すべき至要です。死字を参究しない武士は、心身ともに怯弱で、主心を定めることができないから、一旦の緩急があった時に、存外、臆病であって、主家存亡を決する大事の時に何のはたらきも表すことができないのである。だから「驚怖みだりに起るは主心定まらざる故なり」と言うのである。》

 この前段で白隠は「死字とは、何となく気味悪く縁起でもないと思うだろうが、この死字を透過するならば、いつしか生死の境をうち越えることができる秘訣である」と言い切っている。

 白隠の言葉の中に「主心」というワードが出てくる。これは、『邊鄙以知吾』にたびたび出てくるキーワードなのだが、『広辞苑』にはなかった。『日本国語大辞典』にはあって、そこに『邊鄙以知吾』が引いてあったので、おそらく『邊鄙以知吾』にしか「主心」という言葉は使われてないのではないか。

「この主心を据え定め、著実に身を治めること」が重要だと説いている。

 似たようなことを沢庵禅師も言っている。

「本心一途」

 本心を定めて、一途に身を治めれば、物事は確実に進んでいくんですね。