青春の詩

 アメリカの実業家で詩人でもあったサミュエル・ウルマンは「青春とは、人生のある時期をいうのではなく心のもち方である」と言った。その詩がこれである。
http://www.asahi-net.or.jp/~SJ3N-TRMR/Seisyun.html
 以前、この日記に書いた記憶があるのだけれど、どこに書いたのかを忘れてしまっている。だからもう一度書いておこうっと……と思いながら、「ウルマン」で探したらあった。2010年の1月の日記だった。
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20100119/1263850423
 7年前である。《ワシャは自慢ではないが(プチ自慢にはいってます)、毎日がワクワクしっぱなしじゃ。夏目漱石織田信長ならとっくに死んでいる年齢だが、人生を「詰まらない」などと思ったことがない。》などとほざいている。毎日がワクワクしているなんて幸せだったんですな(自嘲)。
 日記の末に《この詩を知っているのと知らないのでは、あなたの人生が随分違ってきますぞ。》とか偉そうなことを言っているが、知っていたけれどここ何年かは忘れていた。忘れていたということは知らないのと一緒なので、あやうく青春を失うところだった。
 青春は人生のある時期のことを言うのではなかった。心の持ち方のことだった。色艶のいい顔やしなやかな体が青春の象徴ではなかった。つねに新しいことに挑戦する冒険心を持ち続けること。人は歳月で老けるのではなく、理想を失うときに老人になるのだ。
 このところワクワクしてなかったなぁ……。もちろんコンサートや演劇を観にいくときには単発でワクワクするんですよ。そうじゃなくて、7年前は年中ワクワクしていた。仕事でもワクワクしていた。アホかもしれないが、ずっとワクワクしていた。フットワークワクもよかった。その感覚が鈍っていたなぁ。
 動きの悪いのを年齢のせいや、環境のせいにしていたようだ。実際は心のもちようだった。たまには自分の日記を読み直さなければいけない。