ひろさちやさん

「仏教原理主義者」を自認していたひろさちや氏が亡くなられた。ご冥福をお祈りする。

 ワシャのテーマのひとつに「仏教」、「死」というものがあり、この分野ではひろさちや氏の著書に頼ることが多かった。書庫の中を探せばざっと20冊以上はあるだろう。昨日、新聞で訃報を知って、仕事から家にもどり、家捜し本探しをしたんだけど、17冊までは見つかったが・・・。それらを順不同で紹介しますね。

『釈迦物語』(新潮文庫

 釈迦の生涯を書いた「仏教」の本質に迫る本。この本で大乗仏教徒(日本人)にとって、釈迦は宇宙仏の分身であることを知りました。

『まんだら人生論』(新潮文庫

《霜が降りるから紅葉も鮮やかになるのでって、憂きことに遭うから老年も美しくなるのだ。》

『「狂い」のすすめ』(集英社新書

《日本においては、人間の努力によってすべてのことが可能になると信じられているのです。「なせばなるなさねばならぬ何事もならぬは人のなさぬなりけり」これは江戸時代の米沢藩主の上杉鷹山(一七五一-一八二二)の歌でした。まったくいやらしい歌ですね。》

 このフレーズを読んでから、上杉鷹山を懐疑的に観るようになりました(笑)。

ひろさちやのあきらめ力』(青春出版社

《人間には誰にでも長所、短所があります。ふつう、長所を伸ばし、短所を改めていくべきだ、などといわれますが、まるで逆です。長所を伸ばしたところで、ありきたりの人間にしかなりません。短所を伸ばしてこそ、その人らしい生き方ができるんです。》

 ここでひろ氏は、ある吃音者の話をするんですが、これがいいエピソードなんです。

『老いることをどうして怖がるんですか』(飛鳥新社

《禅の修行は「莫妄想」です。しかし、われわれのような在家の人間は、死後の世界を考えるなと言われても考えてしまう。考えてしまう人間はどうしたらいいのかという疑問に対して、死んだらお浄土へ往くんだよということを信じなさい、信じることができれば考えないで済む。こう言うんですね。これが宗教なのです。》

 この本で「莫妄想」という言葉を知りました。以下の日記にも書いてます。

https://warusyawa.hateblo.jp/entry/20140324/1395612940

https://warusyawa.hateblo.jp/entry/20150306/1425593404

『人は死んでもまた会える』(青春出版社

《この世は橋である。渡ってゆきなさい。》

《われわれはこの世に執着を残してはならないのです。橋の上に豪邸を建てようとしてはいけません。たとえあなたが豪邸を建てたとしても、あなたがそこに住める期間はごくわずか。あなたはその豪邸を捨ててあの世に逝かねばならない。》

『死に方上手』(ビジネス社)

 この本では「ありがたいなあ」ということについて語っておられる。

《鬱になったら、「ああ、不思議だなあ」と思えばいいんです。言葉の本来の意味で、「ああ、ありがたいなあ、めったにないことだなあ」と思うことです。左遷されたら左遷されたで、「ああ、ありがたいなぁ」と思えばいい。》

 このフレーズのところに付箋が貼ってあるんですが、欄外に鉛筆で「声を出して笑ってしまった」とメモ書きがしてありました。

『お葬式をどうするか』(PHP新書)

《戦後の農地解放により、お寺は不在地主ということで、それらの土地を全部取り上げられてしまったのです。そうすると、お寺を維持するためになにかやらなければならない。それで、結局葬式産業になってしまったわけです。これは間違った宗教政策です。農地解放をしてその代わりに宗教法人は無税ということにしたのですが、無税にすることによって恩恵を受けたのは新興宗教です。宗教法人を無税になんかせずに、その代わりお寺の財政基盤を残していれば、日本の宗教状況は変わっていたでしょう。創価学会オウム真理教なんかは出てこなかったと思います。》

 いか~ん、出勤時間が迫ってきている。まだ半分も紹介できていない(泣)。しかし、こうやって並べてみると、ワシャの思考のある部分をひろさちや氏が占めていたんですな。「ああ、ありがたいなあ」。残りのひろ氏の本については、また次の機会ということで~。行ってきま~す。