あんどんの油なめけり嫁が君

 大晦日に子規の句をタイトルにした。今日のタイトルも子規。行燈(あんどん)などという照明器具は消えてから久しいのでピンとこないかもしれませんね。行燈というのは歌舞伎などではちょくちょく出てくるのですよ。紙を張った四角い箱で、中の小皿に油を注し、灯芯(細い紙縒り)を浸してその先に火を灯す。子供が小さかった頃に、夏休みの宿題で、行燈生活の実験をしたことがある。なにしろ明るい夜になれた現代人には、行燈の灯火では儚すぎて……。
 タイトルの話だった。行燈の油を嫁が君が舐めている、という句である。歌舞伎の「黒塚」を観たことにある方は、化け猫の句だと思うのではないだろうか。行燈の中に嫁が顔を突っ込んで長い舌で油をペロペロを舐める……これが正月二日の話題か!
 話題なんですね。「嫁が君」は正月の季語なのである。正月三が日、新年を祝うために使ってはいけない忌み詞(ことば)というやつで、「嫁が君」は「ネズミ」の隠語となっている。聞いた話だけれど、養蚕農家はカイコに害を与えるネズミをもっとも嫌った。そのあたりから生まれてきた言葉ではないだろうか。
 日本人は言霊を信じている。だから言葉を発するとその魂に影響されてしまうと考える。たとえば「蛇」などと名前を挙げるとそこらの藪からニョロニョロと現われてしまうので「蛇」と直接言わずに「ナガムシ」とか「クチナワ」などと呼ぶ。去年の暮の流行語大賞で「日本○ね!」などが普通の人々から嫌悪されたのも、言霊の持つ力を畏れたからに相違ない。それに気づかないガソリーヌ嬢は阿呆だった。
 話をもどす。子規の句である。明治26年の作なので、まだ元気なころだった。「嫁が君」という季語を採用した時点で正月三が日が特定される。おそらく日中子規は机に向かっていたのではないか。ふと気が付くと行燈のあたりに子ネズミがチョロチョロしている。気配を消して見ていると、やがて行燈の箱の中に侵入し鯨油を舐めている。そんな正月の風景ではないだろうか。さらっと読むと正月らしくないけれど、ネズミは大黒様の使いでもあるので、そう考えれば縁起のいい新年の句ということなのだろう。