月曜日に読書会があった。ワシャの手帳には明後日の金曜日だったのだが、日程が変わっていたようで、その連絡はLINEであったらしい。ううむ、ワシャは朝鮮半島に対して厳しいことを言うので、通信を妨害されたか?
結局、読書会には間に合わず、その後の食事会に参加することができた。とはいえ、夕方から風呂に入って、録画しておいた大相撲を見ながら一杯やっていた。シメの食事もして爪楊枝でシーシーやっていたら、パセリ君から電話があって「なにやってんの」と叱られた。そこから大慌てで支度をしてJRの駅まで走りましたぞ。
寿司居酒屋ではすでに宴が始まっており、ワシャは美味しいショウガを肴にしながらビールをいただいたのでした。
少しは課題図書の『山県有朋』(中公新書)の話にもなったけれど、すでに読書会のほうは終えているので、雑談程度の「山県有朋」となった。そこでは課題図書の話ができなかったので、ちょいとここに記しておきたい。
基本的にこの本の著者は山県有朋に対して好意的なスタンスをとっている。85年の生涯に起きた出来事を山県の立場から見、解釈を加えている。おそらくこの本を読むと「山県有朋ってなかなかの好人物だったんだ」と思われるのではないだろうか。
ワシャの「山県有朋」に対する見方は年末の26日の日記に司馬遼太郎の山県観をベースに書いている。これね。
《山県有朋から考える》
https://warusyawa.hateblo.jp/entry/2023/12/26/110925
ワシャはこう考えている。小さな自治体をイメージしてくだされ。毎年、職員を採用するのだが、その中の優秀な何人かが幹部候補生になっていく。しかし彼らがそのまま幹部になっていくかというと、体調を崩したり、あるいは死亡したりしてポロポロと零れていく。その穴を埋めるのが、優秀な人材の下に控えていた凡庸な人物である。モノのいいのが居なくなったからといって外から持ってくるわけにはいかないからね。
まさにこれと同じで、長州藩のトップグループ、吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿らは、明治を迎えられなかった。軍事的天才の大村益次郎も維新後まもなく暗殺されてしまう。長州のモノのいい人材はあらかた失われている。
維新の立役者である西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎らも明治の初めの頃に逝ってしまった。西南戦争では優秀な薩摩武士、例えば村田新八などが西郷に殉じている。
明治11年には維新の立役者はほとんど居なくなった。
さて、困った。そうなると脇役の二流の者でも登用せざるをえない。安倍首相がご存命なら二流の宰相でもいいのだが、安倍さんのいない状況でのボンクラでは国家が立ち行かなくなることは実際に今体験しているとおりである。これは今も昔も変わらない。
このあたりからは半藤一利『山県有朋』(PHP研究所)を参考にしますね。
山県は松陰や高杉、久坂などと比較して卑賎の出で、このことが生涯のコンプレックスになっている。ゆえに国家権力を手にしてからも「陰にこもって実務的で、ひたすら権力を求め、かつ派閥を大事にする人となった」と半藤さんは言う。
同じ下士出身でも伊藤博文は「天真爛漫」だった。半藤さんは尾崎愕堂の言を借りて「伊藤公は用意周到の人であったが、死に至るまでよほど子供らしい性情をそなえていた。(中略)いかにも子供らしいところが、老人になるまで存していて、そこに人気があった」と言い、山県には「そうした茶目っ気も、感傷味もなかった」と指摘している。
また「伊藤は国民の前に常に身をおこうとしたが、山県は国民など眼中におかなかった」とも。
そして山県最大のマイナスは、「伊藤に比べて国際性、国家観」がまったくなかったと言っている。誰と比較すると解かりやすいかというと「安倍晋三」と「岸田文雄」であろう。トランプとメルケルの仲裁に入れた安倍首相、インド太平洋構想をまとめ上げた安倍首相。岸田首相はなにかやりましたっけ?
さらに半藤さんの言を引こう。
「自分の権力を確固なものにするためにも、熱心に派閥を育成し、反対派を追い落とすことに全力を傾けた」
キッシ―は、その派閥すら壊してしまいましたがね(笑)。
山県は日清戦争の大陸戦で大失敗をしてしまう。山県、能力のない人間にありがちな、自分の地位が自分の実力だと思い込むタイプだった。こういうのをリーダーに戴く組織は哀れだ。
陸軍大将で司令官の山県が采配する日本軍は、兵站が伸び切っているにもかかわらず、遼東半島の付け根あたりの安東県海城周辺に展開する清軍の攻撃に踏み切り、多くの犠牲を出した。
この失敗で国内に呼び戻される。山県自身がそういった左遷人事を工作する人間であることから、この自身の異動も誰かによる左遷だと勘ぐった。「伊藤博文のたくらみに違いない」と勝手に思い込んで逆恨みをすることになる。伊藤はそんな山県のようなことをしないタイプなんだけどね。
大隈重信は伊藤博文を「長州山脈の富士山」と喩え、「外交と財政について優れている」と評している。反対に山県は「非立憲的専制主義者」と断じ、「冷たさと陰険さがつきまとう」と言っている。かなり嫌な奴だったようだ。
西園寺公望は、「山県は清廉潔白を装っているが、議会操縦に多額の公金を裏金として使っている」と語っていたという。
明治天皇への告げ口も頻繁にしたらしい。負の遺産でしかない朝鮮併合も山県らが主導した。伊藤博文の朝鮮への左遷人事も日清戦争の時の報復であり山県の差し金だし、そうなるとハルビン駅頭の伊藤の殉難の因も山県が作ったことになる。
その後の天皇の神格化、統帥権の確立、軍備の増強などに走り、日本の国際的立場を悪化させることには余念がない。外交的センスもリテラシーも備わっていないので、こんなのが日本国第一等の権力者として独断専横すれば、そりゃ日本も道を間違えますわなぁ。
ということで、ワシャはなにしろ山県有朋が嫌いで、それは司馬さんも半藤さんも同様だったと思う。
本としては、半藤さんの『山県有朋』(PHP研修所)がいろいろな視点から山県を書いていて面白かった。小林道彦氏の『山県有朋』(中公新書)は、山県の事歴をなぞっただけで深堀されておらず、年表としては役に立つのかな・・・と思った。