本を読む

 今日も朝から重〜い仕事。重〜いのは宴席が2日連続したせいかもしれない(笑)。

 ワシャは谷沢永一『人間通』(新潮新書)を座右の一冊としている。本の表紙に谷沢さん「言」がある。
《私は四十代あるいは五十代に至って人生に関する若干の知見を得ました。そしてそのたびごとに、このような思い至りがもう十年早く脳裡に浮かんでいたら、もっと賢明に生きることが出来たであろうに》
 谷沢さんは自らに「遅すぎた納得事項」を「早い目に読者に伝えたい」と筆をとった。ところがワシャはその同年齢の時代にいるけれども、まだ諸々に納得ができていない。納得できるだけの知見が備わっていないのである。本を読むたびに「なるほど〜そうなのか〜」と納得し、酒を飲んで、それをみなクリアしてしまう。また、本を読み「確かに〜そうなんだ〜」と思って付箋だけは打っているが、何日か経つと付箋を打ったことを忘れてしまう。
 教養とはやはりその人の中に定着していないとだめなものなんですね。ワシャの場合、積んである本に付箋を打つだけで、脳のほうへの堆積がない。まぁアホのアホたるゆえんだが、だから読み直すたびに納得し、感動するのでもある。