浜野矩随

 落語に「浜野矩随」(はまののりゆき)という演目がある。「落語」ときた瞬間に「あ、ワルシャワは、三遊亭円楽のことを書くつもりだな」と思った人は大正解。
 まず「浜野矩随」という噺である。矩随は金彫師の二代目なのだがまったくうだつが上がらなかった。名人と言われた父の死後は得意先から見放され、わずかに芝の若狭屋だけがへたな作品でも一分で購入をしてくれた。その御蔭で母子が食っていけた。しかし三本足の馬を持って行った時に、さすがの若狭屋もきれた。
「こんな出来損ないを持ってきて恥ずかしくないお前の性根が情けない。五両の手切れ金をやるから二度とうちの敷居はまたぐんじゃない」
 と追い返されてしまう。
 矩随は母親に「無尽講にあたった」とウソをついて五両を渡すが、母親は見透かしていた。自分の情なさに思いつめ「死んでしまおう」と言いだす矩随に「死ぬ前のかたみに観音様を彫っておくれ」と言う。
 母親の最後の頼みとあって、怠け者の矩随も、四日を寝ずに一心不乱に観音を彫りあげる。この完成を見た母親は「これを若狭屋さんに持っていきな。30両がびた一文欠けても売るんじゃないよ」と告げて息子を送りだす。
 若狭屋に自作を見せると「なんだまだ先代の作が残っていたじゃないか。ん、百三十両かい?」
「あっしの手なんで……」
「おおお!」
 てなことで、ようやく二代目の開眼に相成ったという人情噺。

 これを先代の円楽師匠が得意としていた。ワシャはテレビで見ただけだが、それほどいいとは感じなかった。その後、弟子の楽太郎が六代目円楽を襲名し、「浜野矩随」も受け継いだ。ワシャは六代目の「浜野矩随」を高座で聴いた。ずばり言うと、下手だった。口だけで噺をなぞっているような、そんな印象を受けた。「浜野矩随」である。先代を継ぎ、先代よりも上回る職人として開眼していく噺なのだ。そこには当然のことながら五代目円楽を継ぎながら、どこかに「先代とは違うな」と思わせる旨味がなければいけない。明らかに噺が劣っていた。三本足の馬だった。

 熱烈な落語ファンである編集者の広瀬和生氏は円楽一門についてこう言っている。《円楽党の存在感が薄いのは、一にも二にも人材が不足しているということだろう。人数は三十人以上いるようだが、落語家として注目に値する人材が非常に少ない。》
広瀬氏は数少ない中で三遊亭鳳楽を挙げているが、ついに六代目円楽の名前は出てこない。その程度のことなのである。
《円楽 不倫会見で謎かけ2連発し爆笑「“航海”の真っ最中」》
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160610-00000080-dal-ent
 今回、フライデーに掲載された写真の相手はゴルフ場で知り合った女性だという。笑点で当代円楽の顔を見るといつもいい色に焼けている。ゴルフ焼けでしょうね。しかし、そんなことをしている場合だろうか。今の円楽の実力では、とにもかくにも落語に精進しないと、三本足が二本足になえりかねない。なぞかけで笑いを取っている場合ではない。

笑点』の司会者が春風亭昇太に決まった。おおかたの予想では円楽だった。円楽も「司会になれなかった円楽です」をギャグで使っているという。でもね、現在の笑点メンバーから歌丸の後任を探すとするならば間違いなく昇太だった。
 三遊亭小遊三では歳が行き過ぎている。好楽にしても歳が歳だし、そもそも華がない。木久扇も老年だしキャラが違う。たい平では若すぎる。とすると円楽か昇太の選択肢しかない。ではどちらがいいか。それは昇太である。円楽は66歳。本来は名人の片鱗が見え始める時期なのだが、ゴルフ三昧で落語のほうが片手間なのは先に書いたとおり。
 広瀬和生『この落語家を聴け!』(アスペクト)に51人の現在の名人が記されている。その中で若手の一押しは春風亭昇太だ。残念ながら六代目は名前すらなかった。円楽師匠、「浜野矩随」ですよ。落語家は66歳なんてまだ若手だと思っていい。今から20年精進すれば、「平成の名人よ、今矩随よ」と言われるかもしれない。