落語の話

 先月、落語会に行った。瀧川鯉昇(りしょう)と三遊亭圓楽が高座に上がった。ワシャは鯉昇のファンなので鯉昇の話をたっぷり聴きたい。しかし、大勢つめかけた客のお目当ては圓楽だった。それも仕方がないと思う。テレビ的には圓楽のほうが売れている。鯉昇などブラウン管で見たことがない。
でもね、残念ながら高座に上がるとその実力は歴然としていた。落語界のキャリアでも年齢でも鯉昇は圓楽の後輩になる。だから先輩の圓楽を立ててはいたが、噺家としての鯉昇は圓楽に大きく水を空けてしまった。それが痛いほどわかるから、圓楽の噺を聴いていて辛かったことを思いだす。芸を磨かずに芸能活動ばかりに走っていたからということでもない。圓楽も精進はしている。しかし、素材が違うということなのだろう。
 鯉昇の怖いくらいに大作りな顔、見ようによっては獅子頭のような面相は望んで得られるものではない。落語家としては一等の風貌で、ダラーッというかダラダラーッというか、穏やかな口調でとぼけたように語る、こりゃぁ圓楽は勝てません。

 雑誌編集者の広瀬和生さんが落語の本を上梓している。『この落語家を聴け!』(アスペクト)である。この中に今、観ておきたい噺家51人が挙げられている。その中で鯉昇を「今後の注目株」として高い評価を出している。
 片や圓楽はというと、こちらの評価はかなり手厳しい。
円楽党の存在感が薄いのは、一にも二にも人材が不足しているということだろう。人数は三十人以上いるようだが、落語家として注目に値する人材が非常に少ない。「隠れた逸材」を見逃したくないので、僕もなるべく機会を見つけては円楽党噺家の高座に接しようとはしているのだが、むなしい結果に終わることがほとんどだった。》
 残念ながらというかやっぱりというか、広瀬さんの文章の中に「圓楽」について語る部分は出てこなかった。それは素人のワシャが落語会で感じたそのままでもあった。
 圓楽の名誉のために付言しておく。「文春ムック」の『今おもしろい落語家ベスト50』では、楽太郎の前名であるが25位に入っている。もちろん鯉昇は、それよりも上位の16位、この実力差はいかんともしがたい。