畢生

 畢生(ひっせい)、辛うじて読めたが書けないし、ワシャの日記の中でも使った覚えがない。それが司馬遼太郎『「明治」という国家』(NHK出版)の下巻の帯にあった。
「巨匠畢生の日本論」
 いかにも司馬さんの本の帯らしい。
「畢生」、命の終わるまでの間、一生涯、終生という意味なので、「司馬遼太郎が終生を費やした日本論」ということになろうか。「畢」は象形文字で「あみ」のことをさす。上部の「田」を含む部分が鳥獣を捕る網で、下につきでた一本足は柄であった。当初はその柄が長かったけれど、時代を経て短くなった。「畢で猟をして捕りつくすことから、畢尽・畢終の意味となり、畢成・畢業・畢生の意となる」この部分は白川静『字統』より引いた。
『字統』を手に取るのも2か月ぶりくらいだ。ううむ、まだまだ勉強することは山ほどある。司馬さんの「知」に追いつくには1000年くらいかかりそうか(笑)。もともとのおつむの構造が違うからずうっと無理かもね(泣)。