三島と司馬

 長年、手を着けられなかった書籍の本格的な整理を、10月に入ってから暇を見つけては、せっせと進めるようにしている。しかし、過去の新聞の山に入れば、新聞を読み、棚の本を並び替えれば、本を読み、ダンボールにたまったPR誌を片付ければ、PR誌を読むというようなことで、遅々としてちっとも進まないのであった。チッ。
 新潮社のPR誌の『波』が書庫の奥からどっと掘り出された。いやーこれなんかもそのまま廃棄すればよかったんですが……。最初はそれを30冊くらいずつまとめて紐で括っていたんですよ。でもね、所どころに付箋が打ってあって、そこがやっぱり気になるので、ちょこちょこと確認を始め出した。これがいけない(泣)。
 例えば2009年8月号に付箋が4枚打ってある。パラパラとページを繰る。食の冒険家の小泉武夫さんの「男精食のすすめ」という連載に1枚。哲学者の中島義道さんの「ヒトラーのウィーン」に1枚。坂東三津五郎さんの「読書感想」に1枚という具合に確認をしていく。それらは確認だけで通り過ぎたのだが、4枚目で手が止まってしまった。松本健一さんの「三島由紀夫司馬遼太郎」という連載に付箋があったのだ。司馬遼である。それに三島がからんでくる。一度読んではいるが、これはもう一度読みたくなってしまう。そうなると捨てるはずだった『波』の2009年前後のものが全部必要文献になってしまった。すでに紐で括った塊が6つほど勝手口に積んで置いてある。それをまた持ってきて、紐を解いて必要な号を選り分けていく。そんな賽の河原の石積みのようなことを繰り返している。
 結局、『波』の2008年10月号から2010年5月号まで20冊が全部戻ってきて、午後から再読をしているのだった。

 10年ぶりの三島と司馬の比較論はおもしろかった。まず第1回で、三島の自決を受けて、司馬遼太郎毎日新聞に寄稿した「異常な三島事件に接して――文学的なその死」という短い文章を取り上げている。
 もちろん司馬の文章も書庫の中から引っ張り出してきた。『司馬遼太郎が考えたこと』の第5巻に全文が載っている。それも読んでみる。ふうむ、司馬の文章にしてはかなり激烈な内容で「さんたんたる死」とか「彼の死の薄汚れた模倣」とか「三島由紀夫を、このような精神と行動の異常なアクロバットのために突如うしなってしまったという悲しみにどう耐えていいのであろう」とか深刻な言い回しが多い。司馬遼太郎三島由紀夫の死を嫌悪していることが伝わってくる。
 松本さんは、その司馬の死についても触れ、功成り名を遂げたのちの往生を「憤死」と言い切っている。これについては作家の塩野七生さんも「実に悲壮な死に方」と言っていることを紹介している。
 三島も司馬もロマンチストとリアリストという対極にありながら、晩年は両者とも「美しい日本」を求めながらも「空疎な日本」を目の当たりにして、絶望とまでは言わないけれど、それに近い感情を抱えつつ彼岸に逝かざるをえなかった近似性を指摘している。

『波』を読み終わったら日が暮れていた。その間に松本さんが引用していた『司馬遼太郎が考えたこと5』(新潮社)や『司馬遼太郎対話集6』(文藝春秋)、三島由紀夫の『文化防衛論』(新潮社)なども、読み返していたのですっかり時間を忘れていた。ということで、明日も片付けは続くのだった。トホホ。