後藤又兵衛

 豊臣秀吉に仕えた黒田官兵衛の家来である。
 現段階でNHK大河の「軍師官兵衛」の人物相関図にも、
http://www9.nhk.or.jp/kanbe/cast/index.html
名前のみあるだけで写真は貼付されていない。
 今、ドラマは官兵衛が荒木村重に幽閉されている時期、後藤又兵衛は19歳の若者であった。「軍師官兵衛」の中では、どうやら主要な役どころではない。脇の脇だろうね。今後、塚本高史という俳優が演じることになるらしいが、官兵衛と又兵衛が一世代違うのでやむを得ないのだろう。
 実際に後藤又兵衛の勇名が人口に膾炙するようになるのは、官兵衛幽閉から15年を待たねばならない。秀吉の狂気「朝鮮の役」が又兵衛の大舞台となるわけである。
 
 又兵衛は幼少のころに官兵衛よって拾われる。よほど子がらがよかったのか、官兵衛は自身の子である松寿丸よりも又兵衛を可愛がった。官兵衛の寵愛に又兵衛もよく応えた。このことが官兵衛の死後、又兵衛の後半生に大きな影響を及ぼす。
 官兵衛の息子の松寿丸は長じて長政となり、筑前52万石の太守となる。黒田家の重臣である又兵衛も股者(大名の家来)としては破格の1万6千石(大名クラスの知行)を得ている。
 しかし、子供のころからの確執はその両者の間に根深く残っていた。些細なことから辱めを受けた又兵衛は「士はおのれを知る者のために死すという。あなたのような主人に仕えて、なんの楽しみがあるか」と、即刻に1万6千石を返上して、一族を引き連れて福岡を去っていったという。
 見事なるかな後藤又兵衛。この後、長政の執拗な妨害によって長く落魄するのであるが、大坂の陣で西軍の大将として活躍し、その勇名をさらに轟かせた。又兵衛は言う。
「己の義と信ぜざることは断じてやらぬ、己が武士として誓約した義は、必ず守る」
 己の本心を貫き続ける……これはなかなか出来ぬことだが、又兵衛の生き様、死に様をみるにつけ、かくあらねばと思うのであるが、なかなか実践はできないのであった(自嘲)。