荒俣さん

 もう2月。1月は早かった。この調子だと1年もあっという間に過ぎていく。人の一生も終わってみれば矢の如しなんだろうね。

 昨日、東京で水木しげるサンのお別れ会があった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160201-00000012-spnannex-ent
 テレビでもその様子は流されていて、祭壇の様子や、参列者のメンバーが映し出された。奥様の武良布枝さんのインタビューもあった。その映像で、布枝さんの隣に体格のいい男性が控えめにならんで座っている。誰かと思えば、あ〜ら、荒俣宏先生じゃあ〜りませんか。当然のことながら、布枝さんの隣は発起人代表である荒俣さんの席である。でも、荒俣さんの人柄からか、なんだか恥ずかしそうな面持ちで、「座ってていいの?」感がにじんでいる。でも、それはそれで見ていて楽しい。
 先週、荒俣さんの講演を聴く機会を得た。運のいいことに講演会の前後に時間があって、そこで少しお話もできそうだ。ということなので、少しばかり仕込んで荒俣さんにお会いした。
 まず定型的なあいさつ。お茶を出して、とりあえず席に落ち着いてもらう。講演は昼過ぎからだったので、あらかじめ弁当を控室に用意しておいた。しかし、すでに新幹線の中で軽く食べてきたことと、講演の前は食事をしないと言われる。おやおや、食事の時間にと取っておいた時間がスッポリと空いてしまった。主催者は、困った表情でワシャに耳打ちをした。
「1時間ほどつないでいていただけますか」
「え、1時間も荒俣さんと話していていいの!」
「その間にマネージャーの方と会場の調整をしますんで」
「いいよ〜」
 ラッキーなんてものではありません。荒俣さんに単独インタビューができるとは思いもよらなかった。
 取りあえず、共通の話題をつくらなければいけないので、荒俣さんの著作『サイエンス異人伝』(講談社)を鞄から出し、荒俣さんの前に置く。もちろん本には付箋がベタベタと貼ってある。
「20世紀の科学の舞台裏がよく理解できました。スピルバーグの映画のグレムリンがイギリス空軍内での都市伝説だったとは……プチ情報も散りばめられていて楽しく拝読させていただきました」
 と言いながら、サインを申し出る。表紙裏を選んでサインをいただく。その本の話で盛り上がっている最中に、ワシャのスーツのラペルに光るピンバッチが荒俣さんの目にとまった。
「あれ?それ?」
 これが仕込だった。
 荒俣さんが、水木しげるサンと交流が厚かったことはつとに有名である。月末に「水木しげるサンお別れ会」があることも知っていた。もちろん荒俣さんが妖怪の大家であることは論を俟たない。だからさりげなく一反もめんの小さなピンバッチを挿しておいたのである。
 またここから話題が拡がった。本の話、妖怪の話で共通認識ができれば、もうあとは放っておいても話は進む。1時間なんて、あっという間だった。荒俣さんは話したりないご様子で舞台に向った。
 事前のストレッチが効いたのか、講演はのっけから爆笑をとって1時間の予定を30分も延長してしまった。話はうまくまとまったのだが、戻ってきてから「話しすぎた。だけどまだ予定の半分も話していない」と笑って言われるのだった。
 控室にもどってから、お茶を出し、講演の内容について感想を述べると、さらに「話し足りなかった分を今から話す」と言われましたぞ。それからまたたっぷりとお話を伺いました。マネージャーは帰りの新幹線の時間が気になる様子で、荒俣さんを急かしておられたが、荒俣さん、泰然自若としており、このままだと三河に一泊しそうな勢いだったので、ワシャから「そろそろお時間です」と言うと、ニコリと笑って、グレーの頭巾をかぶり、ようやく腰を上げたのだった。
 控室を出て行かれる後ろ姿を見て「水木さんの後継者は荒俣さんだ」と確信をした。
 だって、なんだか妖怪のようだったんだもん。