ジョニーは戦場に行った

 昨日、名古屋で「映画を鑑賞しながらの特別講座」があって出かけた。上映作品は「ジョニーは戦場に行った」である。この作品は1971年にゴリゴリの反戦映画として作られた。監督はドルトン・トランボアメリカの共産主義者であり、赤狩りの対象ともなっている大物である。
 ワシャはこの映画を、おそらく中学3年か高校1年で駅前の映画館で観ている。1973年、74年だったと思う。その頃は、駅前の映画館で映画を観るということが日常化していた。一端の映画小僧を気取っていたんですね。看板を見て「戦場」と描いてあったので、景気のいいドンパチ映画だと思って入ったものである。

 物語は、第一次世界大戦に始まる。志願兵のジョニーは砲撃により、顔、両手両足を失ってしまう。奇跡的に命を取り留めるのだが、視覚、聴覚、味覚、嗅覚を失い、生ける肉塊となってしまったのだ。軍医たちは、脳の損傷が激しいので、意識もないだろうと判断し、研究材料として生かし続けるという残酷な決定を下す。ところが、ジョニーの意識は健在だった。残った触覚によって外界のことを理解し、頭でモールス信号を打つことで、なんとかコミュニケーションを図ろうとする……そんなような展開をしていく。
 徹底的な悲劇と言っていい。しかし、ジョニーの回想シーンが美しいことと、現実の場面に登場する看護婦たちに優しさが見えるところくらいが、若干の救いであるが、作品全体から見ればそんなものは極微量である。
 最初に観たときは、なにしろ、若かったので、おもしろくなかった。へんな映画だなぁくらいしか感想はなかった。しかし、あの頃より少しだけ人生を経験しているので、今は、この映画に、異様な恐ろしさが充満し、生半可なヒューマニズムなどぶっとぶほどの超弩級の恐ろしい映画であることが解る。重い映画である。
 映画評論家の双葉十三郎さんは『外国映画ぼくの500本』(文春新書)で「これほど強烈な感銘を与えられた作品は近ごろ珍しい」と絶賛しておられる。
 安楽死尊厳死といった観点からも深く考えさせられる映画だった。

 げげげ!今、書庫で映画の棚をさばくっていたら、なんと、「ジョニーは戦場へ行った」のパンフレットが出てきましたぞ。パンフレットの発行年は昭和48年になっているからそんなものだろう。でね、そのパンフレットに茶色に変色したA5二つ折のチラシが挟まっていたんですね。そのチラシを見ると、岡崎の日劇のチラシだった。上映期間が8月21日から31日となっている。おそらく夏休みの最後に友達と行ったんだろう。この時は、ジョン・ウエインの「駅馬車」と2本立てだった。