70年

 今朝の朝日新聞、「語り継ぐ戦後70年」という特集を隔週で掲載するらしい。
 今回は、ガダルカナル戦に参加した97歳の方の体験記である。この方は運よく負傷したために撤退船に乗り込むことができ、内地に戻ることができた。そしてこう言う。
「戦場は地獄だ。それに終戦から70年過ぎても相手の国からまだ謝罪を迫られる。戦前を知る私には、言い分もあるんだが、一切考慮されない。いいも悪いもない。」
 とくにガダルカナルは苛烈な地獄だった。日本とアメリカが死力を尽くして戦った。どちらが正義でどちらかが悪などということはない。国と国が戦争状態に陥るには、複雑な国際情勢や国同士の権謀術数が渦巻いているのだ。勝った国が正しくて、敗けた国が悪い、そんな単純なものじゃない。

 歴史学者山内昌之さんが「文藝春秋」の6月号に寄稿されている。いいことが書かれてあるので引いておく。
《「謝罪→賠償」の連鎖を生む歴史解釈が健全であるはずがない》
《歴史があって歴史認識が存在するのではなく、歴史認識があって初めて「歴史」が存在する》
《特定の事件だけが記憶され批判され続けるのは、「加害者」の反省が足りないからではなく、歴史認識という現在からのライトの当て方で被写体の見える部分が違うからだ》
《外交論争や国内世論を意識すると、累次に及ぶ日本の反省や謝罪の表現でも十分でないことになる。政権が代わるとライトの当たっていた所はますます強く同じ主張を繰り返し、当たっていなかった所を新たな問題に追加するからだ》
《この結果、焦点は歴史の謙虚な究明と言うよりも、常に外交的屈服を「加害者」の義務として永遠に恒常化するメカニズムをつくるのを日本が受容するのか否か》
《他国の歴史認識を過剰に批判する人びとには、自国の歴史についてもきちんとしたインテグリティ(整合性)をもって語る時期が近い将来に訪れることを期待しておきたい》
 もちろん以上のことは、東アジアの特定の2国を前提に書かれている。「文化大革命」や「天安門」でどれほどの残虐行為が行われていたか。あるいは併合前の自国の悲惨な歴史などに口をつぐんで、というか無かったことにして、70年前の日本の話ばかりを蒸し返すのがフェアかどうなのか。
 もちろんそんなものがフェアなわけがない。
 
 冒頭のガダルカナルで死闘を繰り広げた日米はその後ノーサイドにした。戦っていない中国共産党と韓国は、未だに「謝罪せよ」と言い続けている。この2国がフェアな国かどうか、言わずもがなであろう。