帷幄上奏(いあくじょうそう)

「帷幄上奏」について考えている。いえいえ、そんなに大したことを考えているわけではないんですよ。
 たまたま、今月の地元の読書会の課題図書が、伊藤之雄昭和天皇伝』(文春文庫)なんですね。その中に、昭和5年の「加藤軍令部長の上奏阻止」事件が出てきたので、ちょいと気になって他の文献もあたっている程度のことだと思ってください。
 まず「帷幄上奏」ということである。「帷幄」とは「帷(たれまく)」と「幄(ひきまく)」で、幕をめぐらした戦場の陣営を言う。そこから発展して、作戦計画を立てる場所や機関を指す。「上奏」とは「意見や事情などを天皇に申し上げること」で、二つを合わせて「帷幄上奏」とすると、統帥機関である参謀総長(陸軍)や軍令部総長(海軍)が、内閣の了承を経ずして、直接、天皇に上奏するという具体的な言葉になる。この「帷幄上奏」の拡大解釈が、昭和初期の軍部の暴走を招いたことは歴史の教訓として記憶しておかなければならない。
 さて「加藤軍令部長の上奏阻止」の件である。なにがあったかを荒っぽくまとると……。
 昭和5年である。ロンドンにおいて英・米・日・仏・伊の5か国で軍艦の保有割合を制限する条約が結ばれる運びになった。主力艦については、すでにワシントン条約で英(10)、米(10)、日(6)と決められている。これを補助艦にも拡大しようと欧米が目論むのがロンドン条約ということになる。
 これに対して日本の上層部は意見が割れた。海軍内部でも、穏健派は財政問題などからロンドン条約を決裂してはならないという立場であり、強硬派は、10:10:6では安全保障上の問題が大きいとして、これに強く反対をしている。
 時の首相である浜口雄幸は穏健派であり、すでに昭和天皇に参内し「条約成立」の意思を確認していた。これに対して強硬派は、加藤軍令部長が帷幄上奏することにより、海軍戦力維持の手がかりとなるような天皇のお言葉を引き出し、局面を打開しようとするのである。これを浜口首相や鈴木侍従長(海軍出身)が事前に察知し、加藤の上奏延期をはかった、という事件である。

 これを一般の組織に当てはめて考えたい。考えたいけれど、出勤の時間が近づいてきたので、つづきはまた明日ということで、行ってきま〜す。