山梨勝之進

 読書というのはありがたい。おそらくは本で出遇わなければ、その人のことを知ることもなく、ワシャはあの世に逝っていたんだろうね。

 山梨勝之進さんである。『コンサイス日本人名事典』(三省堂)には載っていない。ネットで調べるとそこそこ出てくる。元海軍軍人だったので『日本海軍指揮官総覧』(新人物往来社)には名前と写真が掲載されている。

 ワシャがこの人を認識したのは、磯田道史『日本人の叡智』(新潮新書)だった。

 ワシントン軍縮会議で前面に立って交渉をした人ある。歴史上の人物なら呼び捨てでもよいのだけれど、ワシャが小学生になる頃まで、御存命だったことと、ワシントン条約の妥結内容が海軍省益に反したために、左遷され、歴史の舞台から降ろされてしまった人で、シンパシーを感じているので、「さん」付けでお呼びしたい。

 山梨さん、山梨さんだけど宮城県の出身である。海軍兵学校25期で次席の成績だった。そしてなによりも人柄がよかった。颯爽としていた。毅然と己を貫いた。昭和の軍事官僚の中にも、やはり格好のいい人はいるんだなぁ。日本海海戦の参謀、秋山真之の薫陶を受けているというから、本物の軍人だったのだろう。

 優秀な人であった。だから海には出されずもっぱら陸上勤務が多かった。交渉能力もあり、状況判断も的確だったので重用された。しかし、こういった用いられ方は、同世代(前後数年)の連中には、妬みの対象になるんですね。

 結果として、日本国のことを思って、着地させた交渉内容を「統帥権干犯」などという呪文を持ち出してきて、ホントは軍艦削減をされると、テメーらの「省益」が減じるからという極めて卑しい理由でしかないことを攻撃材料にして、山梨さんを陥れた。トホホ。こんな連中が海軍の首脳に居座っていれば、そりゃ日本は敗けますわなぁ。

 だが、やはり山梨さんの実力を評価する人物もいて、それが当時の若槻首相であった。首相は山梨さんにこう言った。

「あなたなどは当たり前にいけば連合艦隊の司令長官、海軍大臣にもなるべき人。それが今日のような境遇にあろうとは見ていて実に堪えられん」

 これに対して山梨さんは昂然とこう応えた。

「いや私はちっとも遺憾と思っていない。軍縮のような大問題は犠牲なしには決まりません。だれかが犠牲にならなければならん。自分がその犠牲になるつもりでやったのですから、私が海軍の要職から退けられ、今日の境遇になったことは少しも怪しむべきではありません」

 凄い!

 左遷されるだろうことも織り込み済みで、出席したワシントン会議で「軍縮」という結論を導き出している。極めて頭のいい人というものは違う。いやいや当時の海軍首脳など東京帝国大学より優秀な人材ばかりだから、頭の良さというものばかりでは山梨勝之進は語れまい。やはり本物の人だった、漢(おとこ)だったというほかない。