米朝さん逝く

 ワシャの書庫には落語の棚があって、どうだろう、ざっと200冊くらいの本が並んでいる。その中に『落語と私』(文春文庫)という本がある。19日にお亡くなりになられた米朝師匠
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150321-00000000-tospoweb-ent
の著書である。
《「その財布……」というセリフが、お客の耳にとどいた時に、すっと前を指さして、そこに視線をそそぐ。そうすればそこに財布が見えるわけで、何も言わずにただ漫然と指をつきだしてから「その財布を……」と言っても、そのさししめす動作による効果はうすくなります。》
 これは「立体感のつくり方」という一章の文章なのだが、米朝師匠がじつに科学的に落語を語っていておもしろい。なるほど、大学教授とあだ名されただけの人であった。
 ワシャは米朝師匠の落語を何席か聴いている。好きなのは「愛宕山」「地獄八景亡者戯(じこくばっけいもうじゃのたわむれ)」、印象に残っているのは「はてなの茶碗」「天狗裁き」などなど。なにしろ何を噺しても抜群の安定感を持っていた。座った姿もカッコイイ人で、そして広範な知識を持ったスケールの大きい落語家だった。おそらく米朝師匠がいなければ、上方落語はここまで復活はしていなかっただろう。
 米朝師匠の弟子のざこばがワシャの町に来て落語会をやったけれども、う〜ん、ざこばさん、まだまだ不肖の弟子ですな。ワンパターンの「子はかすがい」ばかりでは、米朝師匠の足元にも及ばない。
 米朝師匠の弟子には枝雀という天才落語家がいた。すでに鬼籍に入っていることはご案内のとおりである。上方落語が枝雀を失ったことは大打撃だった。1999年に自殺をしてしまったが、おそらくあの時代に、中堅で江戸落語に対抗できたのは枝雀だけだったと思う。「東の志ん朝、西の枝雀」と言われたものである。
 米朝師匠が「自分の後継者、上方落語の次世代を担っていくのは枝雀」と踏んでいただけに、枝雀の死は痛手だったに違いない。しかし米朝師匠はめげることなく重鎮として上方落語をけん引し続けた。日本の伝統文化である落語に残したその功績は大きい。
合掌。