信教の自由

 春分を過ぎて、これから昼の時間のほうが長くなっていく。そうだ、お墓参りに行かなければ。
 昨日、身内の結婚式が名古屋駅前のマリオットアソシアホテルで開かれた。規模の小さな式だった。でもね、それだけに暖かく静かな時間の流れるいい式宴となった。
 それはそれとして、ワシャ的には困ることがある。最近の結婚式はそのほとんどがチャペルや教会でのキリスト教式でしょ。新婦はウエディングドレスになるので、とても派手るわけで、それで人気となっていると思う。
 ワシャは日本文化を大切にするものである。日本の歴史の拠りどころである神道と、精神の核となる曹洞宗に帰依している者なのだ。祖母はキリスト者だったが、ワシャは「父と子と聖霊」には一寸の信仰心も持っていない。だから、キリスト教の宗教儀式のようなものに臨席するのは、苦痛とは言わないけれど、少し気が遠くなる(笑)。
 でもね、そんなことは目くじらを立てることではない。日本人はいろいろなものを受容して歴史をつくってきた。ワシャももちろん何の不平も言わず、だまって讃美歌312番を聞いておりました。

 1977年3月22日に、ある訴訟に判決が出た。
 殉職をした自衛官の妻が、「キリスト教で故人を追悼したかったのに、自衛隊山口県護国神社に合祀したのは、政教分離と信教の自由を定めた憲法に違反している」と訴えたものである。
 時代を見れば、この妻の背後に左筋の意志を感じざるをえない。キリスト教で追悼したければ、さっさとどこかの教会でやっちまえばよかっただけのことで、訴訟まですることかいな。自衛隊は、殉職をされた隊員に最大限の敬意をはらって地域の護国神社に合祀しただけのことで、そのことで「軍靴の音」は聴こえないって。
 山口地裁もへたれと言えばへたれで、「宗教上の人格権」を」認めて、自衛隊に慰謝料の支払いを命じたんだとさ。
 禅者でありながら、チャペルでうつむいて讃美歌を聞いている人もいる。それが日本的ともいえる。ワシャはそう思うが、この訴訟に勝った妻は、初詣にも行かないし、お彼岸に毎日香を焚かず、お盆にも休まず、天神さまにも祈願せず、大晦日の除夜の鐘に一年を振り返りもしないのだろうか。おそらく敬虔なキリスト教の信者であれば、そうなのかしれないが、それがまた怖いところでもある。
 祖母は、キリスト者であるといった。しかし、祖母は正月に近くの八幡社に連れて行ってくれたし、お彼岸にはおはぎをつくってくれた。お盆には迎え火を焚いたし、祖父が曹洞宗だったので、お寺参りにもよく行った。熱心な信者ではなかったのかもしれないが、それでもいいような気がするんですけど。