平成27年正月、テレビはその役割を終えた

 それにしても正月のテレビというのは、もう見るべきものはないね。ここまで劣化してくると諦めがつけやすい。どのチャンネルも芸人、タレント、アスリート、アナウンサーが紋付や振り袖で大騒ぎするというもの。なんで正月から「大食い世界一決定戦」なのかも理解できない。なんで水谷豊の「相棒」が元日スペシャルになるのかわからないし、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」は完全な大河ドラマの番宣だ。
 まともだったのはNHKEテレ午後7時からの「ウィーンフィルニューイヤーコンサート」くらいのもの。
 まぁテレビの劣化は昨日今日の話ではないので、そのあたりはちゃんと対策が練ってあって、すでに手元には何本もの映画のDVDを確保してあるし、テレビ内臓のビデオには撮りためた映像がある。これで正月をしのぐのじゃ。
 それでもテレビを見ているんだけど、三重テレビでやっていた中井貴一主演の「次郎長三国志」は酷かった。俳優の津川雅彦がメガホンをとったのだが、これは映画館で観なくてよかった。「次郎長物語」の中では重要なヒーローである「森の石松」が温水洋一じゃないでしょ。怪僧の法印大五郎も笹野高史では年を取り過ぎている。桶屋の鬼吉の近藤芳正も「にん」ではない。配役も破綻していたが、それ以上にドラマが壊れていて、津川さんには申し訳ないけれど、映画研究会出身のワシャのほうがいいものを造れるわい……と思うほどひどかった。
 これほど出来の悪い映画でも、昨今のバラエティを見ているよりも、ほんの少しはましなのだから、テレビの劣化は凄まじいということに尽きる。

 それでもNHKである。大河ドラマの主演の井上真央を出した番宣の後には、きっちりと手堅く「NHKスペシャル」を持ってくるところなんざぁ心憎い。テーマは「どう生きた?戦後70年」タモリ堺雅人が戦後の日本人の生き方を語るのだそうな。
 確かにタモリは語った。終戦の8月に生まれているので、まさに戦後とともに生きてきたことになる。だから語ってもいい。しかし、語るならばそれなりの勉強をして語るべきだった。タモリが語ることは、ごく一般的なことばかりで、改めてタモリの口から聴かなくてもよい話ばかりだった。それを滔々と語ってしまうのは「知ったかぶり」をしているなぎら健一と寸分も違わない。コメディアンならコメディアンに徹する。評論家にはなれないのだから、坂くらいは語れるだろうが、歴史を語ってはダメだ。
 かつてタケシとサンマとタモリが3人でゴルフをする番組があった。タケシ、サンマは見ていて楽しい。それは彼らがゴルフをしながらも、コメディアンがそこにいてカメラの向こう側にいる客を意識していたからに他ならない。
 しかしタモリはつねに冷静だった。タケシとサンマの本物のテンションについて行けなかったとも考えられるが、どちらにしろ妙に御託の多い中年のオジサンがそこにいるだけだった。このあたりがタモリに限界ではないだろうか。
 タケシ、サンマの突き抜け方は相変わらず恐れ入る。その点、突き抜けたボードビリアンだったタモリという逸材はどこにいってしまったのだろう。
 タモリ、堺に知恵をあたえる役が半藤一利さんだったが、半藤さんのコメントも目新しいものはなくもなく、司馬遼太郎の話を引用したりするだけに留まってしまった。「半藤先生老いたり」と思ったのはワシャだけではないだろう。
 NHKでは無理だろうが、近現代史をフォローさせるなら倉山満氏を呼べばいいのに。

 テレビサーフィンをしていて「もはやテレビの時代ではない」と痛感した年初なのだった。めでたしめでたし。

 
 テレビの合間に『正法眼蔵』を読んでいたけれど、テレビの百万倍面白かったのじゃ。