歌舞伎座の風景

 選挙のことは明日にでも。

 それよりも金曜日夜のことである。ワシャたちは歌舞伎座3階席の8列に座っている。後ろの席は2列しかなく、その背後は「天井桟敷」、いわゆる幕見席が2列ある。ワシャの周辺は大向こうさんが陣取るところで、通っぽい和服姿の紳士も座っていたりする。
 そこでの出来事だ。夜の出し物は「雷神不動北山櫻」(なるかみふどうきたやまざくら)の通し狂言で、これはなかなか見ごたえがある。幕が上がり、第一場は「神泉苑の場」、海老蔵、右近、愛之助などが登場し「んりたや!」「ぉもだかや!」「ぁつしまや!」と大向こうが掛かる。実際には、「成田屋」「澤だか屋」「松嶋屋」なんだけど、うまい人の掛け声は、出だしが「ふにゃ」って感じで入るので、「んりたや!」のように聞こえる。どうでもいいことだけど(笑)。
 舞台ばかりではなく会場側のそういった雰囲気も楽しみながら、久々の歌舞伎三昧は始まったのであった。
 ところがだ。じきにワシャの楽しい歌舞伎鑑賞に干渉してくるあかん衆がいたのだった。ワシャの2列後方にそのカップルはいた。二人並んで歌舞伎見物をしているのだが、イヤホンガイドを1台しか借りていない。そこで1個しかないイヤホンを男がつけたり女がつけたり、つけたり外したりしているのである。その度に解説の音が漏れる。またつけても中途半端にしか装着していないので、やはり音漏れが響く。その度に後ろを振り返り睨んでやるのだが、バカップルなので一向に気がつかない。
 昔なら「シッ!お静かに願います!」と叱るところなのだが、最近はワシャも大人になってきて、そのバカ以外にもお客さんはいるので、その人たちの鑑賞の妨害をしてはいけないととりあえず一幕は我慢した。
 一幕が終わったところで、係員に「ワシャの後ろでイヤホンガイドを使っている人がいるのだが、その音漏れがひどい。何とかしてちょ」と言っておいた。
 その係員は一度まわりをうろついただけで何も言わないまま「第二場」が始まってしまった。音漏れは続く〜よどこまでも〜。
 次の休憩のときに、同行のメンバーが再度係員に抗議した。それでようやく会場スタッフが動いてくれて、ワシャらの3階席に来て注意をしてくれた。
「お客様にお願いいたします。イヤホンガイドの装着が浅い場合、音漏れがして周囲のお客様にご迷惑をおかけいたします。装着はしっかりとされ、外す際は音量を落とすか切って、再度装着をお願いします」
 特定の個人には言えないから、全体にということでアナウンスをしてくれた。まぁこのあたりでイヤホンを装着しているのは、そのバカップルだけだったけどね。
 おかげで後半の舞台はたっぷりと楽しめたのだった。

 そしてその翌日のことである。土曜日ということでネット予約では早々に2階席3階席は完売となった。残っていたのは、1階の後方席、とはいえ14000円もする。そこで昼の部を堪能することとなった。
 ワシャは基本的に2階、三階の席が好きだ。安いからということばかりではない。全体に舞台が俯瞰するのが好きなのである。でも、席がなければ仕方がない。どこでも贅沢を言わないのがいい歌舞伎ファンというものである。
 でもね、花道に近いところだったので、鳥屋口に入る役者の表情がよく見える。それはそれで楽しい。
 ところがどっこいすっとこどっこい。ワシャの左側の島に20人くらいの団体が入ってきた。比較的若い男が目立つ。そいつらがワイン瓶を回し呑みしている。いやーな予感がするのう……。開演直前になっても、何人もがスマホをいじっていたり、大声で喚いていたり、係員から何度も注意を受けている。
 幕が開く。愛之助の「源平布引滝」が始まる。そうするとどうであろう。5分もかからずして、左手の団体の幾人かが舟を漕ぎ出した。そしてあろうことか鼾をかきはじめたのだ。
 おいおい、昨日といい今日といい、歌舞伎座の客はどうなっちまったんだい(泣)。たまたま遅れてきた客(こいつもどうかとは思うが)を舞台前の一等席に案内して、戻ってきた係員がいたので、手で合図をして「鼾がうるさくてかなわない」と言っておいた。その係員はなかなか優秀で、客席の背後にいて、その団体客の中で、落ちて鼾をかきはじめるヤツがいると、その都度、やってきて「お客様、体調がお悪いようでしたら……」と声掛けをして起こしてくれる。
 団体の何人かは、それで「ここでは寝たらいけないんだ」ということが理解できたようだ。寝てもいいんだけれど、鼾を掻くなということなんだけどね(失笑)。
 しかし、一人だけ頑固な男がいて、そいつはワシャと通路を挟んで近い位置(通路隣のひとつ前)にいる。この男だけは、何度、注意を受けても、何度でも傍若無人に鼾をかく。
 その都度、係員が駆けつけるのだが、それも舞台鑑賞にはもうっとうしい。
 結局、その団体の10人くらいは途中で鑑賞するのをやめて、客席から出て行ってしまった。あるいは帰ったのかもしれない。満員御礼の歌舞伎座で、ワシャの隣の一島だけは空席が目立つ状況になった。
 推察するに、会社の団体旅行かなにかで、「久しぶりの東京だで、新しくなった歌舞伎座でも見るべい」と幹事が企画したのであろう。しかし、浅草寺スカイツリーを見るのとはわけが違う。話の内容も知らず、その上に朝から酒を飲んで、歌舞伎鑑賞はできるものではない。
 じつは、ワシャの友人も何人か、土曜日の昼の部のチケットを狙っていたのだが、結局、チケットが入手できなかった。おそらくその他にも多くの歌舞伎ファンが涙を飲んだことだろう。
 ずっと寝てしまうくらい興味がないなら、最初から歌舞伎座など来なければいい。そうすれば歌舞伎好きな人のところに10枚のチケットがまわったのである。意味のないことに14000円も費やすことはない。そんなことを思いながら、座席で鮨折りを開けるのだった。