太秦ライムライト

 8月12日の日記
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20140812/
にも書いたけれど、斬られ役5万回の大部屋俳優の福本清三さんのことである。凶相というんでしょうね、おそらく飲み屋で隣り合わせれば、ついつい無口になってしまうタイプのお顔である。でもね、この顔のおかげで時代劇が締まるというもの。バカみたく「勧善懲悪」な日本の時代劇には、極めつけの悪というものが必要で、それが福本さんに割り当てられた役どころでもある。
 
 その福本さんが主演する『太秦ライムライト
http://uzumasa-movie.com/
をようやく観ることができた(安堵)。先日、観に行ったときには満員御礼で門前払いをくってしまった。なんせ、東海エリアでは名演小劇場(名古屋市東桜)でしかやっておらず、それも1日1回の夕方上映しかない。日々、三河の田舎で仕事をしているワシャらにはなかなか行けまへんで。でも、午前中に整理券をもらいに行ってなんとか観ることができだ。
 さてその映画のことである。福本清三さんのファンであるワシャにはあっというまの1時間半であった。『どこかで誰かが見ていてくれる』(集英社)で福本さんの生き方を知って以来、注目をしてきたけれど、この映画は福本さんの生涯の集大成と言ってよく、福本清三のドキュメンタリーとしては素晴らしい作品に仕上がっている。よかった。
 映画について気がついたところを何点かメモしておく。
 まず「ドキュメンタリー」と言ったが、まさにそのとおりで、主人公の香美山清一は福本さん自身であり、福本さんの人生そのものがスクリーンで展開する。おそらくエピソードの多くが、実際に福本さんが経験してきたことなのだろう。たとえば、福本さんが大部屋で浪人者に変身していくシーンがある。これなんか『どこかで誰かが見ていてくれる』の中に写真で紹介されている「ヅラ&メイクのできるまで」と一緒だった。福本さんが太秦で何万回もやってきたことだ。タテのシーンも随所に出てくるが、これも福本さんの本来業務であり、もっとも得意とするところであろう。夜、一人で木刀を振って練習する場面も迫真の演技だった。加えて、撮影所内を歩いたり、当日の役の確認掲示板を見たりする福本さんは自然で、とても演技とは思えない。というか演技ではないだろう。メイク、タテなどをふくめて素でこなせたのではないか。
 ところが福本さん、山本千尋(伊賀さつき)とのからみや、名バイプレーヤーの本田博太郎など他の人との掛け合いになるととたんに硬くなる。印象的だったのは、鴨川の河原でのロケシーンである。
 香美山たち大部屋俳優3人が血まみれで河原に横たわっている。死体役だ。じりじりと太陽が照りつけて暑い。しかし、監督はなかなかOKを出さず、じれて動いてしまう死体役の俳優に罵声を浴びせる。そのことにカッとなった香美山が監督に迫っていき、監督はその迫力に圧倒されて転倒する……というシーン。
 血糊のついたメイクアップでじりじりと迫っていくのだが、う〜ん、福本さん、根っからいい人だから、眼が怒っていないのである。メイクは怖いのだけれど、目が怖くない。怒りが福本さんの中に宿っていないのだ。
 ワシャは人格というものは眼に出ると思っている。福本さんの眼にはその正直で真面目な性格がそのまま出てしまっている。ロングで立ち回りを撮っている限り、福本さんの眼がアップで撮られるということはまずない。造作が凶相なので、アイシャドーなどでごまかせる。しかし、主役となるとどうしても眼を撮ることになり、福本さんの人としての優しさが見えてしまう。こればっかりはどうしようもない。
 福本さん自身が著書の中で言っている。
《新劇出身の芸達者だと言われる人らに聞くと、「いかにその役になりきるか、そこが勝負や」なんてむずかしいことを言ってくれるのですが、私なんか、その役になりきれって言われても、そんなんなれますかい。》
 ということなのだろう。ざっと見渡した限りでは、主要なキャストの中でも福本さんが一番大根ではないだろうか。東映中島貞夫監督が、本人役で登場していたが、中島監督のほうが演技力があるような気がする。
 でも、そういったところも含めて福本さんなのだから仕方がない。福本さんの最初で最後の主演作は、いい映画だった。

 今朝、午前5時ごろに書庫の西の窓を開けると、さあっと冷たい風が室内に滲入してきた。この夏、初めて感じた冷気だった。もう秋である。