怖い人たち

 ワシャがビビリであることは昨日のべた。だから歌舞伎の「四谷怪談」でもビビリまくっている。高岡早紀が主演した映画「忠臣蔵外伝 四谷怪談」は怖かった。高岡早紀のファンだったことと、もちろん「四谷怪談」という名手鶴屋南北の作品を高く評価していることもあって、恐る恐る観にいった。それもビビッているところを人に見られたくないので、たった一人で映画館にいったものである。
 公開は1994年だったから、もう20年前か。高岡早紀はきれいだったなぁ。でも、きれい過ぎるゆえに、その変貌が不気味でチビリそうになったのじゃ。映画館はたまたま平日ということもあって、ガラガラでワシャの座った前よりには、誰もいなかった。たった一人でスクリーンの中のお岩さんと対峙しなければならない。暑い日だったけど、すっかり涼しくなった記憶がある(笑)。

四谷怪談」の一方の主人公である民谷伊右衛門のことである。右衛門は己の欲のためにお岩に毒を盛り、小仏小平を殺害した殺人者である。見てくれもいかにも悪そうな苦みばしったいい男だ。たとえば天地茂とか仲代達矢などの役どころといっていい。そんな伊右衛門なのだが、お岩や小平の幽霊に祟られて狂乱の限りを尽くす。
 でもね、そんなワルどもをやすやすと超えてしまう超ど級の子供たちが存在するのである。伊右衛門は、手下に言いつけて、殺害したお岩と小平を戸板に打ち付けて川に流している。伊右衛門はさすがに、殺害した遺体に対して首を切断し腑分けまでするようなことはしない。その上、ばらばらになった遺体をそのまま家作の中に放置し鑑賞するようなことは考えもしなかったろう。
 それを表情すら変えずに遂行できる子供がいる。きっと大人もいるだろう。あろうことか酒鬼薔薇などは、死体を切り刻むとき射精すらしていた。彼や彼女に比べると、伊右衛門など小物に見えてくるから恐ろしい。

 司馬遼太郎の「愛染明王」という短編にこんな記述がある。
 戦国期、とある桶職人の少年が尾張清洲辺の橋に通りかかった。牛のように巨漢の足軽が、酔いつぶれて橋をふさいでいる。避けて抜けようとしたが、かかとが足軽の頭にあたった。足軽は目をさまし「小僧、なにをさらすぞ!」と引き倒し組み伏せた。ここから司馬さんの文章を引く。
《牛に組み敷かれて下になった市松が、たまたま懐に細工包丁を入れていることを思いだし、そうか、これがあるわと抜きはなち、下からぐさりと足軽の腹に突き入れた。わっと足軽が叫んだが、市松はすこしもさわがず、桶の内側でも削っているような落ち着きでキリキリと柄をまわし、相手が息絶えてから起き上がった。》
 のちに大大名になる福島左衛門大夫正則が少年だったときのエピソードである。この後、正則は姫路にはしって羽柴秀吉の家来になる。狂人と言っていいこの男、戦場に出れば縦横無尽に殺戮を楽しんだ。正則が踏みにじった死体の数だけ石高がついてきた。最終的には51万5000石の大名に化けた。
 おそらく戦国大名の中でも正則は異常人だった。人の命を毛ほども尊ばず、人を殺すことに躊躇はなかった。そんな戦国一の狂人ですら、佐世保や神戸の殺人者と比べると、可愛げがあるように見えてしまう。人間臭いというか、喜怒哀楽を保っているというか……。
 猫を殺し、人まで行きついてしまった子供たちに「心」を感じられない。おそらくその眸を見ると、奥行きの知れない空洞を覗きこんでいるような怖さを感じるのかも。
生活から「死」が遠くなった分だけ、死を玩ぶ人間が増えてきたような気がしてならない。ことほどさように現代は病んでいるのだろうか。