国土のすがた

 小泉信三さんの話を続ける。
 ワシャは(講談社学術文庫)を読んでいる。その中に「国土の姿」というエッセイについて昨日ふれた。この文章、実は、児童書の『私たちはどう生きるか』(ポプラ社)全20巻の中にも「国土のすがた」という題で収められている。奥付を見ると、昭和41年第5版とあるので、ちょうどワシャが小学生のころですたい。ガキのころにこの文章に触れていれば、もう少しまともな人間になっていたかもしれない。やっぱ、ならないか(笑)。
 小泉さん、この中でリンカーンのエピソードに触れていることはすでに書いた。その後で、森鷗外の話も紹介している。
森鷗外も同じようなことをいったことがあります。なんの機会であったか、ちょっと思い出しませんが、人間、生まれながらの顔をもって死ぬのは恥だ、といったといいます。》
 生まれつきは眉目秀麗、端正な顔立ちであっても、その後、人格の研磨を怠れば、人の相貌などすぐに卑しく変わってしまう……リンカーンも鷗外も、そう言っているのだ。

 そのことを前提にして、小泉さんは言う。
「われわれはこの日本の国土を、祖先からうけて、子孫につたえます。鷗外が生まれたままの顔をもって死ぬのは恥だ、といったと同じように、われわれもこの国土を、われわれが受けとったままのものとして子孫に残すのを、恥じなければなりません」
 小泉さんは、「そのまま渡すな、よりよきものにして次代に引き渡すのだ」と言われる。そして、そしてこんな例を挙げる。
《日本人は、かつて、台湾や朝鮮を、たしかによりよき国土にしたと言いうると思います。明治二十八年の割譲のときから太平洋戦争にいたる半世紀の間に、台湾島の面目は一変しました。この五十年の間に、ペストはぜんぜん、マラリヤはほとんど根絶せられ、人口は増し、米作はゆたかとなり、砂糖の産額は数十倍し、道路は縦横につうじ、水利のため、発電のための大工事に、山河も容を変えたといえるでしょう。》
 長くなるので引かないけれど、この状況は「朝鮮についても、同様のことがいえます」と言って事例を列挙している。
 おっと、台湾や朝鮮半島のことを言いたいのではない。私たちの国土のことである。そのまま渡すのは「恥」になるんですよね。よりよくして子孫にバトンタッチしていくことが、今を生きる私たちに課せられていることなんですよね。

 ところが私たちは、そのまま渡すこともできず、日本人の拠るべき国土を汚した状態で次世代に渡さなければならなくなった。これは「恥」を超えてなんと表現すればいいのだろうか。「大恥」「ひどい汚辱」「慙死」……福島の一部を放射能で汚染し、長期に使えない状態にした当時の無能な政府、愚昧なる東電経営陣、利ばかりを追う経済界、原子力村の無責任学者、彼らは小泉さんの言葉をどう聴くのだろう。