酒精度

 昨夜の熊本県地震、被害が徐々に明らかになってくる。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20160415-00000754-fnn-soci
 震度7である。甚大な被害が出ているものと思う。一刻も早い救助・救援を。

 司馬遼太郎さんがよく使う言葉に「酒精度」というものがある。簡単に言えば「アルコール度数」のことで、文章にしても行動にしても「酒精度」の高いものを嫌った人だった。思想やイデオロギーへの酩酊体質をもつ人がどの時代にもいて、彼らが集団的ヒステリーを引き起こす。
 そのことは司馬さんの文章から学び取ってきたつもりである。つもなのだが、いささかワシャも「酒精度」が強い体質を持っている。一昨日なんかも、内容は言えないけれど(笑)、かなり自分の言葉に酩酊して議論していたなぁ。その上、本物のアルコールを呑んでいたのだから「酒精度」はさらに高くなりますわなぁ。「酒精度」は加齢とともに抜けていくはずなのだが、ワシャはあんまり抜けていない。困ったものだ。

 リンカーンの話で、組閣をするときにある人物が推薦されてきた。しかし、リンカーンはその人物を採用しなかった。理由は「顔がよくない」ということだった。え、そりゃないだろう、という話なのだが、リンカーンの不採用の理由がふるっている。
「人間は、若いころは生の顔である。だが40歳をこえると、その人間の経験、思想、品格などが第二の顔を作りはじめる。40歳をこえたら自分の顔に責任をもたなければいけない」
 つまり、推薦されてきた人物は経験、思想、品格において、顔が形成されていなかった。それをリンカーンは見抜いた。顔の部品、配置の良否ではない。
 昨日も酒精度の高い議論をしていた。これはアルコール抜きでね。その時の相手が、議論の途中でいやな笑い顔を見せた。今までに一度もそういう顔をしたことのない男だったが、立場を得て、卑屈になったか。
 毅然として生きよう、あらためて思った。