笈の小文(おいのこぶみ)

「古池や 蛙とび込む 水の音」
 芭蕉の名句である。
 このところ『禅と日本文化』から離れられない。この新書の第7章が「禅と俳句」である。
大拙は《古池は孤独と閑寂を表象するもの》と解し《それに飛びこむ蛙とそれから起こるものは、周囲をとりまく一般的な永久性、静寂感をひきたたせ、これを増大する道具立て》と言っている。そして《芭蕉の古池は「時間なき時間」を有する永久の彼岸によこたわっている。》と結ぶ。
 アホなワシャにはよく解らないが、ただ、この名句に武蔵の「枯木鳴鵙図」と同様な孤高さのようなものを感じる。だから、静寂の中に響く「ポチャ〜ン」が極まる。

 そこから派生して『芭蕉紀行文集』(岩波文庫)を読んでいる。この中に「笈の小文」という紀行文がある。芭蕉、45歳のとき、思い立って旅に出る。その冒頭の部分に心が共鳴した。
《……しばらく身を立むことをねがえども、これがためにさえられ、しばらく学んで愚をさとらん事を思えども、これがために破られ、終に無能無芸にして只此一筋につながる……》
 ううむ、漂泊の詩人も悩んでいたんだね。