芭蕉の旅立ち

《弥生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の峰幽かにみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし》
 芭蕉、おくのほそ道への出立の場面である。「弥生も末の七日」とあるから、旧暦の3月27日ということになる。この年元禄2年は、芭蕉45歳である。5年後に大坂で50歳で亡くなるので、もう晩年と言っていい。死因は赤痢による脱水状態だったようだ。弟子たちに見守られながら「埋火のあたたまりの冷(さ)むるがごとく」息を引き取った。
 旅に生き、旅に死んだ漂泊の詩人に対して鈴木大拙はこう書く。
芭蕉は僧侶ではなかったが、もっぱら禅を修めた。》
 禅の修行の上に出てくるのが「枯枝に 鴉のとまりけり 秋の暮」という名句である。ある意味、宮本武蔵の「枯木鳴鵙図」に通じる極まりを感じる。禅のなんたるかを知る俳人が、枝の鴉をとおして自然の「永遠的孤絶」を感じた瞬間なのだろう。