大相撲春場所がおもしろい。
初日を観た後に、大砂嵐、千代丸の話題をこの日記で出した。昨日もこの二人の話を書いた。今日の新聞を読んでもこの二人の健闘が光っている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140315-00000104-san-spo
大砂嵐は6日目で全勝、千代丸は5勝1敗だ。真面目な力士が頑張っているのを見るのはうれしい。
また、同じ日記で旭天鵬と遠藤の名前も挙げている。旭天鵬は5勝1敗、沿道は前頭筆頭という厳しい地位で、5人の横綱大関と闘いながら4敗で踏みとどまった。
残念ながらワシャはこの力士たちの2日目以降の取り組みを観ていない。どう考えても平日の4時〜5時台にサラリーマンがテレビの前に座っているわけにはいかないでしょ。だから、9時以降のNHKニュースとか、翌日の新聞で勝敗を確認するのみである。だったら、録画しておけばいいじゃん、ということなのだが、やはり相撲は生がいい。録画だと臨場感が違う。でも、かつて放送していた「大相撲ダイジェスト」はみんな録画なわけで、それでも当時は楽しめていたことを思い出せば、それでもいいのかって、今、気がついた(アホ)。
ワシャは、大相撲の今後のあり方に一家言持っている。エヘン。そもそも一番大相撲でストレスを発散しなければいけない社会人がまったく対象とされていないことが情けない。幕内の取り組みが就業時間と重なっていては、そりゃファンも減るでしょうよ。せめて、幕内を午後6〜7時台にもってくることが出来れば、世の好角家の社会人は、急いで家に帰ってテレビ桟敷で観るとか、町の居酒屋のテレビで仲間と一緒に盛り上がることができる。日本相撲協会もいろいろ考えなきゃ。
と言いつつも、昨日は終業ベルを待って猛ダッシュで帰宅した。それでなんとか結びの一番に間に合った。横綱日馬富士と関脇栃煌山である。これは楽しみだ。
さて、行事軍配が返った。両者相手を見据えながら仕切り線に手をおろす。
「はーっきよい!」
栃煌山するどく横綱に突進する。なかなか角度もいい。おもしろい取り組みになりそうだ。日馬富士、横綱の意地をみせ、栃煌山を受け止めて……と思ったら「ヒョ〜イ」と左に変化した。勢い余って栃煌山、べったりと土俵に手をついた。なんじゃそりゃ。決まり手は「上手投げ」、変化したときに上手がまわしを触っていたのだろう。場内はしらけたように静まり返っている。ちらほらと「ええかげんにせーよ」とか日馬富士に対する批判が飛んだくらいだった。
横綱は横綱である。百歩ゆずって日馬富士が大関なら、変化することもありだと思う。だが日馬富士は横綱である。最高位の神の地位にいる。これが関脇相手に大きな変化をみせて奇襲で勝つなどという下品な取り組みはみせてはいけない。せっかく楽しみにしていたのに、目が穢れたわい。
3月9日の日記にこう書いた。
《今の上位陣の取り組みの薄っぺらなことと言ったらありゃしない。どうも、勝つということにばかり重きが置かれ、勝ち方がつまらなくなっているのである。「勝てばいいんだ」という意識が取組から見えてしまう。これは朝青龍以降のモンゴル力士が持ち込んだ大陸の勝ち方と言ってもいい。》
まさにこれが昨日の日馬富士の勝ち方である。勝つ過程の美学というものがまったくない。「勝てばいいんだ」という種としてもっている質のようなものが出てしまった。それを押し殺してでも美学を追及するというものがなければ、横綱相撲などというものは潜在しなくなる。土俵を割っている下位者に、さらにとどめの一発を浴びせて土俵下に突き落とす、あの「バカ青龍」の取り口である。あのバカな相撲を外国人力士に徹底しようと頑張っているのが、大砂嵐の師匠である大嶽親方である。
昨日の朝日新聞スポーツ欄に大嶽親方の話が載っていた。今場所快調なスタートを切った大砂嵐と親方の話である。
《春場所前の稽古中。先輩の付け人を「オイ」と呼びつけた大砂嵐を見て、親方は「先輩に『オイ』はないだろ。さん付けにしろ」と注意した。番付社会の角界では地位に応じて待遇が変わる。親方はそれを承知で、大砂嵐を厳しく律する。》
大砂嵐は前頭11枚目、歴とした関取である。そして付き人は先輩とはいえ、幕下以下の力士であり、そこには厳然たる上下関係が存在する。実のところ大砂嵐は「オイ」でいいのだ。しかし、それを大嶽親方は許さない。大嶽部屋、実はロシア出身の露鵬という力士で味噌をつけた。礼節を重んじる大相撲において、ならず者のような力士だった。暴力事件を起こし、大相撲大麻事件にも連座し、結局、解雇になってしまう。この露鵬が急速に番付を上げたことで増長した。この時の反省に立って、大嶽親方は「大砂嵐をならず者力士には絶対にしないぞ」という強い決意で、厳しい指導をしているわけである。このことは、大嶽親方が苦労人だけに、大砂嵐にとっては実にいい指導になっていると思う。
大嶽親方、元十両の大竜である。大竜、幕下まではとんとんと出世した。ところが幕下で9年も足踏みをしてしまう。十両に上がっても、怪我で幕下に陥落というような苦渋をなめているだけに、下の者の心理をよく理解している。名選手が必ずしも名指導者ではないことを、大嶽親方は見事に体現している。大関まで上がったが弟子の朝青龍を甘やかしてしまった高砂親方に比べれば、ずっとモノがいい。
地位が上がれば上がるほど頭(こうべ)を垂れる、これは一般社会でも角界でも同じことなのである。上位の者が下位の者に罵声を浴びせたりしては、草野球のキャッチャーということなのである。「ミットもないちゅうこっちゃ」by高倉健。