愛媛の人がやってきた

 昨日、ワシャの会社に遠方から来客があった。愛媛県新居浜市の会社の方お二人で「セールス・プロモーション」についての情報収集にあちこち走り回っているとのことだった。でも、こっちだって情報が欲しい。このところ愛媛県(松山)のことを書いていることもあって、休憩中にいろいろと話をうかがった。
のっけから「松山」というわけにもいかないので、新居浜の話から拝聴する。
 新居浜市の南部、四国山地の北麓に別子(べっし)銅山がある。すでに廃鉱となっているのだが、そこに産業遺産が残っており、
http://www.niihama.info/index.php?option=com_content&view=article&id=50&Itemid=57
四国のマチュピチュとして売り出していきたいそうだ。元々そこは銅の採掘が行われていて、そこで鋳造されたものが、日本でもっとも有名な「河内守」の銅像になっているという(今は別の「河内守」の方が有名だけど/笑)。そうなんです。皇居の楠正成像は別子銅山産の銅が使われていて、その銘板にそのことがきっちりと書かれている。いかん、見落としていた。見ていたかもしれないが、そんなこと興味もなかったから忘れてしまうわいなぁ。
 愛媛県の話も聴いた。総人口は150万弱、西三河が160万人くらいなのでだいたいそんなものですな。面積は愛媛が5,677平方キロ、愛知県が5,167平方キロとなっている。ただ平野ということになると、濃尾平野に位置する愛知県のほうが広い。そんなことは資料を見ればわかるのでどうでもよかった。でもね一応「フムフム」とうなずいておく。
 そしてようやく松山のことである。新居浜人に言わせると、松山とは圏域が違うらしい。距離にして70kmほど離れている。名古屋と豊橋くらいの距離だろう。そう考えるとちと遠いか。JR予讃線で行こうとすると、瀬戸内海にコブのように突き出ている高縄半島を迂回しなければならない。特急でも70分かかるそうだ。この距離は、交通の便が悪かった江戸以前においては、そもそもの文化が違ってしまう距離と言っていい。
 いい女の県は大きく3つの海に囲まれている。ひとつは燧(ひうち)灘、これが新居浜の前に広がる瀬戸内海である。もうひとつが松山の西に広がる伊予灘。その灘の南に衝立のように伸びる佐田岬があり、その衝立の南の外海が宇和海となっている。この海に面する首邑が宇和島ということになろうか。
戦後になるまで、海沿いの田舎では輸送、交流は海に頼った。このために地方であればあるだけ文化も経済も海を中心に構築されてきた。このため愛媛県も海ごとに「東予地方」「中予地方」「南予地方」と3つに区分されたわけだ。
 結果として、東予の人に中予のことはよく解らないとのことだった。なんのこっちゃ。
 それでも松山のことを続ける。総人口は50万を超える。漱石は「猫の額程な町内のくせに」とバカにしているが、いやいや、四国第一の大都市である。ではあるが徳島や香川の都市とは違い、四国でも奥まったところに位置しているので、へんにあか抜けていないところがいい。歴史も文化も風格があり、かつ都会的でもある。そんな雰囲気を楽しめる街、そう思ってもらえればいい。
 そうそう、『文藝春秋』の3月号に「松山鮓」のことが出ていた。なんでも正岡子規の母親(NHKの『坂の上の雲』では竹下景子が演じていた)が、松山の郷土料理の「松山鮓」をつくって、漱石と子規に食べさせたということが、高浜虚子の回想録に出てくるぞな。漱石と子規と虚子が舌鼓をうった郷土料理、食べてみたいではあ〜りませんか。
 さて、もう一つ、松山まで行ったなら「砥部焼」をごろうじろ。白磁に藍の染付がいい感じですぞ。「くらわんか茶碗」
http://www.e-tobeyaki.com/shopdetail/001001000039/
 これは飯茶碗なのだが、見てのとおり高台が大きくがっしりしている。これは舟上で食べ物や酒を売るさいに、安定感が求められたためと言われている。変わった形でおもしろいのだが、女性には少しごつい感じがするかも。道後温泉近辺にも直売店などがあるので、そのあたりで手に取ってみていただければと思う。