いよいよ伊予

 伊予松山の印象は街全体が落ち着いているということである。もちろん全市域を回ったわけではない。ごく限定されたところを視察で、視察後にプライベートで見て歩いただけのことなのだが。

 まずJR松山駅に降り立った。人口50万余を有する四国最大の都市の玄関と言っていいところである。

「さあ!」と勇んで改札を出てみれば、「ありゃりゃりゃ」と驚いた。そうねぇ西三河刈谷駅や安城駅のほうがよほど都会の駅に見える。愛知県だと幸田駅とか津島駅くらいの駅舎、駅前ロータリーのスケールか?もちろん風情はあるんですよ。駅舎左手には、子規の筆跡で「春や昔十五万石の城下かな」と刻まれた石碑が立っている。それだけも「松山にキター!」となるけれど、駅前に昼飯を食う店すら見当たらない。駅舎の中のうどん屋くらいぞなもし。なにしろ鄙びた田舎の駅なのである。

 

 そこから電車道を東にたどると松山城の外堀にたどり着き、堀づたいにさらに東進すると南堀端という市電の駅に達する。そこから南に行くと「松山市駅」があって、この駅前は、それこそ姫路駅に匹敵するくらいの殷賑を極めている。訊けば、姫路駅周辺整備を手掛けたプランナーが松山市駅のデザインも担当しているということで、それで「親和性を感じたのか」と納得をした。

 この辺り一帯が松山の繁華街なのだが、それが名古屋とか姫路とか広島とか違っているんですな。何が違っているか、司馬さんの描写を借りよう。

《その市街の中央に釜を伏せたような丘があり、丘は赤松でおおわれ、その赤松の樹間(このま)がくれに高さ十丈の石垣がのび、さらに瀬戸内の天を背景に三層の天守閣がすわっている》

 この景色が街角から垣間見える。それが街に落ち着きを与えているような気がする。

 

 仕事を終えて、「坂の上の雲ミュージアム」に立ち寄ったことは書いた。また、そのあたりを散策し、正岡子規邸や、秋山兄弟の家の跡なども点在しており、『坂の上の雲』ファンのワルシャワには、ちーっとばかし時間が短か過ぎたようだ。

 またじっくりと腰を落ち着けて回ってみたい街であった。