秀才の限界

 ワシャはその分野に知識がないので感覚的なことしか言えないが……。
 昨日の朝日新聞に「看護師紹介ビジネス」の話が載っていた。その後に届いた勝谷誠彦さんのメールにもこの件が取り上げられている。
 要するに厚生労働省がよかれと思って改定した診療報酬制度(重症患者に高度な医療を提供するために看護師を手厚く配置した病院に対し報酬を増やす仕組み)を食い物にされて、250億円もの医療費が医療とはまったく関係のない口入屋に流れているという。勝谷さんはこのことを
《お育ちのいい霞が関の官僚の頭では、カネのためなら倫理や道徳など屁でもない鬼畜外道のたぐいがどれほどいるのかわからなかったのだろう。》
 と指摘している。
 昨日の日記に書いたが《マニュアルに強いだけの軍人(官僚)は平時には多少間に合うかもしれないが、有事には何が起こるかわからない。マニュアルにないことばかりが発生する。これに知識脳だけでは対応できないのが現実である。》ということなのである。
 もちろんエリートの中には優秀な軍人(官僚)もいる。それは否定しない。しかし割合の問題なのである。昭和前期も、平成の世もエリートの中にバカの割合が多いから困っている。医療費にたかるシラミさえ、やつらの脳味噌からいえば想定外で排除できないのである。
 思い出してくださいよ。小中学校の時代を。秀才君ってたいていはおとなしくて、教師の言うことをきいて、それほど元気がなかったでしょ。もちろん例外もある。割合の問題なのだ。それに比べてガキ大将は元気だった。勉強はもう一つできなかったけれど、なんでもやれたし、町内のことなら何でも知っていた。そういうのが逆境に強いと思う。本来は秀才連の上に、こういったガキ大将が君臨して動かしていかなければ物事はうまく回らない。
 日本帝国海軍も陸軍も秀才で回そうとしたところにほころびが生じ、国を滅ぼしたのである。