司馬遼太郎の作品に『花神』という長編小説がある。主人公は幕末に活躍をした長州の大村益次郎である。大村はよく酒を飲んだ。肴は豆腐だけでよく、そればかりを好んで食べた。司馬は、大村のことをこう書いている。
《酒を飲まずにおれる人間はよほどの悪党だろう、といった。感情がもたないのだ、ともいった。一日世の中で過ごすと、もう人への憐憫やら世間への怒りやらときに攘夷問題についての憂悶やらで、酒でも飲まねば夕方を迎えられない。》
ううむ、このフレーズはうなづけるなぁ。宮仕えではないけれど、朝家を出て、世間という人の間に出て、もみくちゃにされていると、さすがに日暮れ頃になると、感情がもたない。それは明治維新のキーマンであろうと、平成のサラリーマンであろうと、差はないわさ。
前の冬に、慰安旅行で九州は宇佐神宮に詣でた。宇佐でも仲間とともに酒を飲んでいた。メンバーにも恵まれて、宇佐の酒は美味く、宇佐の空は晴れていた。
今年は神奈川方面に行くという。宇佐神宮が応神天皇を祀ってあるから、今度は東の応神社の鶴岡八幡宮を訪ねてみようかなぁ。時間的に難しそうだが憂さ晴らしにネ。
あちこちに残っている絵巻や屏風などには、酒を楽しむ人々があまた描かれている。歌麿は「高名美人見立忠臣蔵」では、座敷で酒杯をあける由良之助とお軽が美しい。
「歌舞伎図巻」では、舞台そっちのけで舞台下で酒を飲み、大騒ぎをしている観客。
「淀橋本観桜図屏風」では満開の桜の下で、浮かれ騒ぐ庶民の姿が見事に描かれている。やはりここでも酒を飲む人が主人公だ。
人の世は、憂さやつらさで充満している。そんなものを一日吸って生きてくると、ついつい憂さを晴らしたくなるもんや。旅行に出るもよし、神社に詣でるもよし、酒を酌むもよし、気分を転換して嫌なヤツのことなど忘れちまいましょう(笑)。