人間ドックにゆく

 月曜日、隣町にある病院で人間ドックを受けた。早めに行って、空いているうちにサクサクッと終えてしまいたい。だから、受付開始時間の20分も前に診療所の待合に待機した。番号札は15番、なかなかいい番号だ。
 8時15分から受付が始まる。ワシャもすぐに呼ばれた。名前を確認さて、保険証と突合されて、着替え室にゴー……と思ったら「まだ問診票が届いていません。もう一度書いてください」と言われてしまった。
おい、日本郵政、どういう仕事をしているんだ。4日も前に出しているんだぞ。投函したポストから病院まで、おそらく直線距離で6kmとは離れていまい。それが届いていないという。悠長な仕事をしやあがって。
 ま、いいや。届いていないものは仕方がない。再度、何ページにもわたる問診票を書きましたがな。
 自分自身の体調、生活習慣、病歴、身内・家族の病歴、死因などなど、ことこまかに聞かれるでしょ。でもね、どうでもいいことに関しては、あんまり正直に答えないようにしている。正直に書くと診断が厳しくなって、面倒くさいだけだからね。喫煙歴のやや少なめに、飲酒歴、飲酒量ももちろん少なめに。
 そもそも人間ドックなるものをワシャは信じていない。こんなものは、事業所が「ちゃんと健康管理をしています」と弁明するためのアリバイでしかないと思っている。その証拠に、ワシャの友人は人間ドックを受診して「良好」だったにも関わらず1週間後に頓死した。なんのために検査したんだという話でしょ。
 でも、行かないと、健康管理部門からやいのやいのと言われるので、仕方なく行っているというようなわけである。
 話をもどす。
 問診票を書いている間に、10人ほど抜かれてしまった。結果、25番になってしもうたわい。それでも、さっと検診衣に着替えて、文庫本一冊をふところに入れて検診に臨みましたぞ。
 結果、2時間ほどかかってしまったが、本を持参しているので待合が気にならない。病院側の用意した手垢のついた雑誌を手に取っている人もいるけれど、大半の人はぼーっと壁を見ていたりする。時間がもったいないなぁ、本でも読めばいいのに。
 要領の悪い看護婦、口のきき方を知らない検査技師、反対にバカ丁寧な受付嬢など、いろいろな人がいるので楽しいなぁ。
 人間ドックについては、諸説いろいろある。『患者よ、がんと闘うな』(文藝春秋)の著者である近藤誠さん、この人の言説には、眉唾なところもあるけれど、人間ドックへの見解(『文藝春秋』2011.4月号)は頷けるところがある。ワシャも人間ドックの直後に友人を失ってから人間ドックに関して言えば、襞を一枚一枚引き延ばして悪いところを探すような検査にはかなり懐疑的だ。そこまでやっても1週間後の生死を判定できないのだから。