歌舞伎見物でちょっと不満

 週初めに「錦秋名古屋顔見世」に行ってきた。そこでちょいと不満を述べる。まず、再建中の御園座に代わって舞台は名古屋市市民会館だった。
 何だか名古屋市のやっていることは七面倒くさいなぁ。「市民会館」が「日本特殊陶業市民会館」なんだとさ。前は「中京大学市民会館」だったのだが、ネーミングライツ・パートナーが代わったので、その名前もコロコロと変わるのだそうな。これでいくらの収入になるのかしらないが、微々たる金に汲々とするならば減税などやめて「名古屋市市民会館」でいいじゃないか。前回「中京大学」を冠したことで愛知大学などの卒業式が逃げていったそうだ。その損失も長い目で見るとけして小さくない。
 そもそもネーミングライツなどという名前を売り渡す施策は愚策だと思っている。名は体を表す。名を残すためにどれほど多くの人が命を削ったことだろう。
「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。建物の呼び名は定期的に死んで市民は混乱する」
 アホか。

 その日本トットコトートー市民会館でしたっけ、そのトットコトには、ホールが二つあるんですね。フォレストホール(2291席)とビレッジホール(1146席)で、今回、ビレッジホールのほうに花道をつけて歌舞伎使用にしてある。その分も座席が減っているので以前の御園座(1656席)に比べてもかなり狭いなぁ。
 昭和47年建設だから、施設も古めかしい。多分、椅子は替えているのだろうが、それにしても狭いわい。
 幕が上がって、「鳴神」の舞台も上下(かみしも)が詰んでいる。滝もみょうに細流だし、崖に上がっていく岨路(そわじ)も急峻だわさ。
 それでも「鳴神」は観られた。問題は「与話情浮名横櫛」である。いわゆる「切られ与三」の源氏店の場。これが狭い。下手から、まず路地があって、格子戸があり、たたきがあって上がり框となる。
 座敷に上がってすぐのところに一曲の屏風が立ててある。絵は紅白の梅の枝だ。屏風の端から寿楽の壁が三尺のぞき、襖が一間あって、四尺ほどの棚、そして一間には少し足りない床の間があって、縁側になる。
 歌舞伎座御園座の舞台であれば「おいおいそんな大きな座敷はないよ」と思うくらい広い。上がり框の与三郎、座敷中央のこうもり安、座敷の奥の藤八、座敷上手のお富が、ポツンポツンとそれぞれの納まりどころにバランスよく配置されているのだ。
 それが市民会館の中ホールでは、狭い空間にせせこましく並んでしまう。本来なら上がり框あたりでの与三郎と安のやりとり、座敷奥に進んで、お富と安の言いあいなど、それぞれが舞台を替えてやっていると思ってもらってもいい。それが狭い舞台のせいで、すぐ横でやっているように見えてしまう。というか実際に隣で話している。これじゃぁお釈迦様でも気がつくぜぇ。
 舞台は仕方がない。新生御園座に期待することにして、役者のほうである。橋之助扇雀はがんばっていた。ところが歌右衛門襲名をひかえる福助がよくない。「切られ与三」のお富にしても「鷺娘」にしても、福助、少し怠けてはいないか。いくら芝翫の息子だからといって、そんなところまで真似しなくってもいいのに。玉三郎ほどの緊張感を持てとは言わないけれど、七代目歌右衛門なのだから、もっと自覚があってしかるべきだと思うがいかがかな。
「鷺娘」で「鷺足」が見られなかったし、海老ぞりもべたっと寝てしまった。それはなかろうぜ。成駒屋