普通なら事業着手から半世紀もすれば懐かしい思い出

 午前5時、風がうなりを上げて轟いている。雨はさほど強くないが、それでも波があった。バラバラっと来るかと思えば、小康状態を見せる時もある。現時点で、台風は八丈島の北の海上を北東に進んでいるらしい。あの汚染水で大変な福島第一原発を目指して。
 コラムニストの勝谷誠彦さんも言っている。
《またも台風の進路のど真ん中に福島第一原発がある。(中略)この夏から秋の累積した降雨量は相当になるだろうね。》
 福島第一は浜にある。福島第一に降った雨もそうだが、他の地域に降った雨もみんな海側に集まってきてまるだしの核燃料に汚染されるわけだ。そのことを勝谷さんこう表現する。
放射性物質という永遠にダシの出る「昆布」を置いてあるからには「含み成分」は水の量だけ出続けるわけだ。》
 つまり、このままでは永遠に放射性物質、汚染水と闘いつづけなければならない、ということになったわけ。このことを示して勝谷さんはこう結論づけている。
《このひとつのことを見ても、原発というものが人類がかかわっていい存在なのかわかりそうなものだけれどもね。》
 経済至上主義に毒された連中にはおそらく見えてはいまい。黄金色の輝きで目が眩んでいるのさ。

 昨日、親会社のOBの人と会う機会を得た。その人と話をしていて、30年前の我社の社員の話になった。
「〇〇専務にはお世話になりました。あの人がいなければあの時のプロジェクトは成功しませんでした」
「専務の下の◇◇部長や▼▼課長にも、国や県との交渉の際に力を貸してもらいました。おそらく貴社のあのメンバーがいなかったらプロジェクト自体がなくなっていたかもしれません。そうなったらこの地域にとっては大きな痛手だったとおもいますよ」
「でもあの時のプロジェクトに関わった人はみんな体を壊すか、早死にしてしまったものです。やはり過酷な仕事だったんですね」
 30年前、我社は会社の規模にしては少し大きすぎるくらいのプロジェクトを抱えていた。OBはそのことを言っているのだが、そのプロジェクトに関わった人たちは、ことごとく早死にをしている。建設系の部長は4代にわたって退職したとたんにお亡くなりになった。生き残っている方々も病に倒れ、半身不随のような有様になっている人が多い。
 社の命運をかけて取り組んだあのプロジェクトが彼らの健康をむしばんだのは間違いない。
 事業の最中に、若い社員の中からも死亡者が出たし、体調を崩すものは後を絶たなかった。だから、社を挙げてお祓いをしてもらったこともあったようだ。それでもね、そのプロジェクトには、永遠に汚染水を出し続ける「放射能」などというものは関わりがないので、30年もすれば、つわもの達の懐かしい昔語りで済む。

 だが、福島第一ではそうはいくまい。300年経っても、現にそこにある危機なのである。3000年経ってもおそらく、勝谷さんが喩えるダシは水に浸かって含み成分を延々と出し続けていることだろう。それが核燃料というものだからね。
 福島だけならいい。浜岡も、柏崎も、大飯も、高浜も、志賀も、玄海も……鍋にダシとダシ汁を満載してぐらぐら揺れるコンロの上に乗せてある。さあて、どうなりますことやら。