気楽な稼業

 朝日新聞の日曜版の名物コラムに「日曜を想う」というものがある。
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201310120532.html
 とくに特別編集委員の冨永格氏の書いたものがおもしろい。コラムニストの勝谷誠彦さんもスコンポコンに腐しているので、便乗してワシャも言っちゃおうっと(笑)。
 上記のURLをクリックしていただくと、冒頭の部分が少しだけ読める(もう読めません)。あとは金を払わないと朝日新聞は見せてくれない。まぁケチな朝日新聞のことはさておき、その冒頭の部分が暴走している。
《秋を確かめに、フランス南部のエクス・アン・プロバンスに出かけた。土地の画家セザンヌが愛した光と泉の街だ。ここも残暑の中ながら、10月の日差しはさすがに柔らかい。噴水が連なる名所ミラボー通りのプラタナス並木は、色あせた葉をまだしっかりと蓄え、やさしい影を歩道に投げていた。
 南仏の秋は、どうかすると冬より寂しい。裏道にまであふれた行楽客(バカンシエ)や、音楽祭の余韻のせいだろうか。一年を通してにぎわう観光地にも、引き潮のように「オフ」の空気が漂う。》
 こんばんは、細川俊之です(笑)。

 おフランス紳士の冨永さん、何を想いついたか、急に秋を確かめたくなったらしい。花のパリイを後にして、錦秋の光りに輝くセザンヌの絵画のようなエクス・アン・プロバンスにお出かけになる。日差しはやわらかい。噴水があって、プラタナス並木があって……プッ!思わず吹き出してしまった。よくこんな文章が書けるものだなぁ。その上にご丁寧にも「行楽客」に(バカンシエ)とルビがふってある。わざわざおフランス語でルビをふる意味が読めないが、これなんかも含めて「どうだ美文だろう」というさもしい根性が見えすぎて、かえって臭い。司馬遼太郎さんのもっとも嫌いな文章ですぞ。その導入部が300字ほどある。全体が1580字だから、ざっと5分の1が、この意味不明なフランスの描写で終わる。そしてこの文章が、次に続かない。富永さん「承」ではとつぜんマルセイユの港で巻き尺を垂らす。岸壁から海面までの距離を測るのだそうな。それが75センチだったらしく、75センチが82センチという別の数値を想起させたのだという。ここまでが400字、4分の1。
 ここからが本題である。IPCC気候変動に関する政府間パネル)の報告書を持ち出してきて、21世紀末の平均気温は最大で4.8度上昇し、海面は82センチ高くなるんだとさ。多少、環境に関わってきたワシャとしては、数値がずいぶん小さくなったものだと思う。昔は海面上昇が60mなんていう時代もあったからね。
 IPCCの情報を100字ほど盛り込んだ後、冨永氏、手を抜き始める。環境原理主義者の「環境本」では必ず書いてある温暖化=化石燃料説、南極やグリーンランド氷床溶解、このことにより最高点が2.4m程度しかないモルディブやツバルでは国土の8割を失うのだそうな。アホか!
 そもそも冨永氏、干満の差というものをご存じなのかな?手元に資料がないので、二つ三つしか事例が出せないが、呉、岩国あたりで4mある。九州の有明海なら6m、ワシャらの地域では名古屋で3mとなっている。82センチなど誤差の内で、そのくらいの差を吸収できずして港湾整備はできない。
 マルセイユの港で海面の高さを計っていたようだが、それがどういう状況の高さなのかがわからなければ、まったく意味のない文章を書くためだけの無駄な動きと言わざるをえない。あるいはメジャーすらもっておらず、適当に目分量で計っていたりして。そもそもマルセイユなど行っていないのかもしれない。82センチを違和感なく導き出すために、その近辺の適当な数字は……73では離れすぎか、77では近すぎる。う〜ん、そうだ75がいい。そんなところじゃないの(笑)。だって、こんな文章、行かなくたって書けるもんね。
 後段に入り、冨永氏の筆ははしる。その一つずつに反論したい。
《すでにこの惑星は、暴風雨や干ばつの多発で怒りのサインを発している》
 大量に二酸化炭素が人間由来で放出される前から、激烈な天災は数多起きている。その因果関係を説明できなければ「怒りのサイン」などと決めつけることは危険だ。
《ある日突然、海か空の堪忍袋が破れたらどうしよう》
 海にも山にも堪忍袋はない。自然の営みがあるのみである。 
化石燃料でも原子力でもない、第三の道を少しずつ広げることだ。自然とエネルギーと、節約・循環型の社会である》
 言うのは簡単だが、実行には多くの困難があり、そのどれもが乗り越えられずにここまできている。富永氏も言論人なら、フランスではなく支那中国に永住し、もっと強い口調で支那中国の二酸化炭素排出量を糾弾すべきではないのか。
《科学と政治を隔てる「無責任の壁」を崩そう。》
 まずは特別編集委員の「無責任の壁」を崩そうね。
 締めの言葉がこれである。
《明日の空模様も気になるが、たまには個を離れ、10世紀先を心配してみたい。》
 おフランスで心配してろ!