歌舞伎の奥行き

 寝待の月が西の空に皓皓と掛かっている。おかげで寝室の奥まで明るく電気をつけなくてもよほど大丈夫だ。
 その明るさに起こされたわけでもないのだが、午後3時には目を覚ました。日中、不愉快なことがあって、そのことが尾を引いているのか、あるいは夜にとても楽しいことがあったので、それで高ぶっているのか。まぁ断然後者のほうがいいので、それを理由にしておきます。
 夜の楽しいことというのは、それほど大したことではない。ワシャはバラエティはほとんど見ないのだが、番組欄を見ていたら、ゴールデンで「歌舞伎」「市川海老蔵」という単語があった。ナイナイの「めちゃ×2イケてる!」に、どうやら海老蔵が出るらしい。これはチェックをしておかないと……ということでテレビのスイッチを入れた。
 これが拾いものでしたぞ。ナイナイの岡村隆史海老蔵の主催する「ABKAI」(えびかい)
http://abkai.jp/
にゲスト出演をするという。演目は、新作の「はなさかじいさん」。岡村はなぜか、一寸法師の役で、ワンシーンだけ登場する。おじいさん(愛之助)とシロ(海老蔵)のいる舞台に下手から箸の櫂をもって一寸法師がやってくる。そこで、見得をきって、「われは名に負う、一寸法師〜」とセリフを述べる。そして、一寸法師よろしく振って向こうへ入る。――「よろしく」というのは演者に演出を任せることで、「振って」は六方を振ることで、「向こうに入る」は舞台から退場することを言う――これだけである。
 詳しくはこのニュースを。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130815-00000001-dal-ent
 というようなわけで、1カ月にわたって岡村は海老蔵と同じ舞台に立つために歌舞伎の猛特訓をすることになる。でもね、舐めてもらっては困る。歌舞伎というのはエグザイルやAKBのダンスとは根本が違う。運動神経や反射神経だけでは絵にならないのである。子供の頃からしみ込んだ風格のようなものがにじんで見えなければいけない。
 そういった意味でいえば、岡村の見得や六方はまったくモノになっていなかった。歌舞伎の真似は出来ているけれど、その奥にある歌舞伎の本質が構築されていない。当たり前と言えば当たり前で、指導に当たった團十郎の筆頭弟子の市川新次も「簡単にできてたまるか」というようなことを言っている。ことほどさように伝統芸は難しいのだ。
 それでもね、岡村の1カ月の頑張りは評価に値する。最初のころを思えば、格段に巧くなった。もちろん細かい点を言い出せばきりがないけれど、とにかく立派に大舞台をつとめ上げた。「お見事、岡村屋!」
 舞台で、海老蔵愛之助にいじられて《「お兄さま方、練習通りにやらせて下さいぃ〜」と、歌舞伎口調で弱音を吐いた。》のは微笑ましかった。それでも、カーテンコールにも顔を出して、盛り上げていたところは、さすがエンターテーナー岡村である。
 あるいは、岡村隆史が中車のようにこの年齢からでも歌舞伎に転向すれば、富十郎のような存在感のある歌舞伎役者になるのではないか。役者の少なくなった歌舞伎界に岡村屋が一石投じてくれないか、そんなことを思っていた。