印象に残った言葉

 最近、目にした印象深い言葉をいくつか。
《行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし》
 あまりにも有名な『方丈記』の序章である。この序章、人の世の「無常」を語って、ほぼ完成されている。
朝顔の露に異ならず。或は、露落ちて、花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は、花しぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、夕べを待つことなし》
 ううむ…深し。

《無常変易の境 ありと見るものを存ぜず。始めあることも終りなし。志は遂げず。望みは絶えず。人の心不定なり。物皆幻化なり。何事か暫くも住する》
 無常の世の中で、見えるものは存在しないし、始まったことにも終わりはない、志が実現することもないし、欲望が尽きることもない。人の心は取るに足らないものであり、万物は幻のようなものだ。
 これは『徒然草』の第九十一段である。

《われわれの欲望は「無常なる肉体と心を無常とは認めず常住ならしめんと欲するために、この欲望が打ちくだかれて、これが苦となる。自己が無常であることはさけられないのであるから、無常と如実に観じ、それにしたがえば、苦はないわけである》
 これは仏教学者の平川彰氏の言。
 賢明なる人でも理屈では無常を理解しているのだが、体験的に常住(消滅・変化なく永遠に存在すること)なのだと思いあやまる。

《人、世間愛欲のなかにありて、独り生まれ独り死に、独り去り独り来る。行に当りて苦楽の地に至り趣く。身みづからこれを当くるに、変わるものあることなし》
仏説無量寿経』にあるフレーズである。
 人が独りであることは自覚しているつもりなのだが、根性の座っていないワシャにはなかなか厳しいことではある。まだまだ修行が足りぬわい。

 東京大学の上村勝彦氏が『真理の言葉』(中央公論社)を上梓している。その中で、『法句教』を引く。
《死神に支配された者を、子供は救うことはできない。父も縁者も救うことはできない。親族たちにも救いはない。賢者はこの道理を知って、戒を保ち、速やかに涅槃に至る道を浄めよ》
 おっと、出勤の時間になってしまった。この続きは明日のココロなのだ。