朝日新聞が「自分史」の作成支援事業に手を伸ばすそうな。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140901-35053158-cnetj-sci
「自分史」ねぇ(遠い目)。果たして普通の人に、1冊の本になるような歴史があるだろうか。少なくともワシャにはない。それについては自信をもって言える。平凡な人生を歩いてきた。だから、そんな特筆すべき人生はありまへん。
司馬遼太郎が新宿紀伊国屋ホールでこんなようなことを言っている。
「何年何月何日に生まれました。地元の小学校、中学校、高校を卒業し、その後、大学を卒業し、商事会社に就職しました。何年に結婚し、子供が何人で、何年に退職し、趣味はゴルフと釣りです。これではなにもおもしろくない。履歴書に過ぎない」
履歴書をパーソナルヒストリーというが、自分史とはまさに履歴書のことですよね。それならば、わざわざ出版社を儲けさせることはない。大学ノートを1冊買ってきて、そこに「何年何月何日に生まれる……」と書き残しておけばいい。
政治家や経営者が「自伝」を出したがる。ワシャが持っているだけでも、福田赳夫、中曽根康弘、野中広務、中垣国男……およよ、中垣国男を知りませんか?けっこう地元では有名な代議士だったんですがねぇ。ウィキペディアでは670字ほどの記載しかない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9E%A3%E5%9C%8B%E7%94%B7
そんなものか。お亡くなりになられて30年と経っていないのだが、それでももう選挙区の中ですら忘れ去られつつある。ワシャらの世代がいなくなれば歴史の中に消えていく。そんなものである。
行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。