五六豪雪(続き)

《なんだか楽しいスキーの話になっているが、この時のスキーはそんな生易しいものではなかった。この後、ワルシャワ白い悪魔と長い闘いをするはめになる。それはまた明日にでも。》
 と、もったいをつけて引っ張ったけれど、要するに年末年始の豪雪で、ワシャは奥美濃に閉じ込められてしまったということ。
 奥美濃が外とつながる唯一の幹線の国道156号が不通になったのである。南の郡上八幡とも北東の高山とも途絶し、物流が止まった。もちろんワシャらのような外から来ている人間は自宅に戻れない。この時は、どこかの集落に生活物資を運ぶのにヘリコプターまでが動員されたらしく、そのことをマスコミが喧伝し大騒ぎだったと記憶している。
 確かに、ワシャらのように雪のない南の町の人はパニックに陥った。娯楽としての雪は好きだけれど、まさか雪に閉じ込められるなどと思ってもみないもの。

 でもね、奥美濃の山の人は強かった。もちろん先輩たちもタフなのだが、それ以上にその両親たちの世代が活躍をした。強かった。
 灯油は備蓄してあるし、薪も炭も軒先や裏の納屋に積んである。物流が止まっても、元々奥美濃で生きてきた地元住民は「こんなことはよくあるんや」と大して気にする様子もない。
 薪ストーブを焚き、和室のど真ん中にある鉄製の炉には炭が入り、民宿の中は快適だった。食べるものも、米は売るほどあったし、先輩のお父さんは、どこかしらから食材を調達してきては、ワシャらに提供してくれた。集落内の酒屋はずっと営業していたので酒にも困らなかった。集落は外界から孤立したが、どっこい集落の中で完全に自給自足していたのである。
 ワシャらは、スキー場に登る林道も閉鎖されてしまったので、屋根の雪下ろしと、民宿周辺の道路の除雪、それが終わると囲炉裏端でお父さんの駄話を聞きながら、酒を呑む、これが日課だった。なんだかワシャは豪雪の間中その集落の青年団になっていたようだ。
 でもね、夜は怖いんですよ。雪の重みで家じゅうがギシギシ音を立てるのだ。

 156の解除までけっこう長逗留となった。宿賃が心配だったが、先輩のお母さんが「あんた、息子みたいなもんやから」とほとんど請求されなかった。食べた量も呑んだ本数も尋常じゃないのに関わらず。
「それはいけません」と抵抗したのだが、お母さんは、「あんたが呑んだ分は、お父さんの支払いやから」と笑って受け取ってくれなかった。助かった。

 なんだかいい思い出のように話しているけれど、雪を排除することがどれほど辛いかというのをこの時に体験したものである。当時は20歳くらいだから元気な盛りだが、今の年齢であの作業を毎日やれといわれても、とてもではないができるものではない。それを豪雪地域に住まわれるお年寄りたちは黙々と続けているのである。本当に頭が下がる。

 あと2日で3月である。北国に一刻も早い春の到来を、心から祈ります。