今朝の「天声人語」。書いた記者は名古屋勤務の人かな?愛知県半田市の新美南吉記念館に出かけて開催中の特別展を見てきたそうな。お題は「コロナ禍に南吉を読む」というもの。記念館、コロナ禍下にコロナ禍を南吉にくっつけるとは、南吉学芸員なかなか機を見るに敏。さすが研究に主眼を置く半田だけのことはある。
天声人語を見てみよう。
《変な咳が続く。熱も高い。やはり感染したか。何とか治して文学の道に戻りたい》《結核で早世した作家の無念が痛いほど伝わる》
《体調の不安を短歌に詠んだのは17、18歳のころ》
《20歳で結核と診断される》
《症状が悪化すると、手紙にも不安が濃い》
《もう相当進行しています。朝晩二度の粥をすするのが、すでに苦痛なのです》
《亡くなったのは1943年の春、29歳だった》
読んでいて朝から気分が暗くなりましたぞ。
この程度のコラムなら、南吉記念館に足を運べばなんなく書くことができる。4分の3は記念館で取材できるし、ラストの4分の1は、唐突に「『おじいさんのランプ』が好きだ」ということと、「せめて数年長生きをすればストレプトマイシンが間に合ったのに」という悔恨で締めているだけ。中学生が遠足に行ってもこの程度の文章は出してきまっせ。
「天声人語」のことは字数の無駄になるので止めておくが、それにしても南吉記念館は研究機関ですね。この暗いご時世に、この暗いテーマを持ってくるところが研究者たる所以か。
半田市の東に安城市がある。半田市には記念館があり、南吉が生まれた地であり、亡くなった地でもある。南吉に関連する資料も山ほど持っている。南吉と言えば半田だからね。
それが10年前に、おこがましくも安城市が「南吉が青春を過ごした町安城」と名乗りを上げた。南吉が晩年の4年間、安城高等女学校の教師として赴任したことをネタにして。
生誕百年、没後70年を、もうお祭り騒ぎでやったのが安城市だった。そこに「暗さ」というものはなく、女学生に囲まれて楽しげに笑っている南吉そのままを再現した。なにしろ南吉が通勤した市街地に30何か所も南吉ペインティングを施した。大きなものは駅前の立体駐車場の壁面いっぱいに何十もの南吉作品をモチーフにして、楽しい絵を書き上げた。
安城市の南吉は底抜けに明るい。研究に取り組む半田から見れば「ふざけ過ぎている」という評価なのかもしれない。その時の安城市側の仕掛人のリーダーは、半田のある筋から「あんた、夜の半田は歩かないほうがいいよ」と言われたとか言われなかったとか(笑)。
展示を見ないでとやかく言うのもなんなんで、近々見に行ってこようっと。