ストレス解消

 只今、午前8時20分、日記の書きはじめが遅くなってしまった。紀元節、旗日なのでご容赦くだされ。
 起きたのは3時間半前。だが国旗を掲揚し、朝食の支度をして、朝食をとり、その後、知人に録画してもらったDVDを鑑賞していたらこんな時間になってしまったのだ。
 DVDは、中村勘三郎の2007年ニューヨーク公演「法界坊」。これがおもしろい。平成中村座名古屋公演でも「法界坊」を観ているが、おもしろさはNYのほうが優っている。勘三郎がいっちゃってるという感じかなぁ。観る機会があればぜひ御覧じあれ。
 番組の最後で演出の串田さんが言っているが、勘三郎がいなくてはできなかった舞台だった。
 そして勘三郎はいなくなった。歌舞伎の海外進出に意欲的だった勘三郎、そして團十郎、この二人を失って歌舞伎の海外展開は、どうだろう20年は遅れるのではないか。あらためてご両所のご冥福をお祈りする。

 さて、昨日、久しぶりにあちこちのブックオフを巡ることができた。基本的にワシャは本を読むというより、本を買うこと、本を探すことが好きなんだなぁ……と実感した。いえいえもちろん読書もしている。しかし、読書よりも本に囲まれている時間に癒されるということを実感した。

 今、高峰秀子にはまっている。女優としての高峰秀子は映画小僧だったので多少は普通の人よりも知っていると思う。しかし、人間としての高峰秀子については無知だった。それをたまたま読んだ新潮社のPR誌『波』が教えてくれた。
『波』にフリーライターの斎藤明美が「高峰秀子の言葉」という連載を続けている。2月号で19回を数えるのだが、不明なことにいつもそこは飛ばして読んでいた。高峰秀子に女優以上の魅力を感じていなかったことと、斎藤明美というライターのことも存じ上げない。とどのつまり興味がなかった。
 それが19回目にして読むこととなったのは、【男の人は職場で見るに限ります】という副題がついていたからである。ワシャだって女性からよく見られたい。そんなスケベ心も手伝って、高峰秀子について読んだ。
 わずか4ページの連載だった。これが良かった。ワシャは倉庫の奥から『波』のバックナンバーを引っ張り出してきて、とりあえず読めるものは全部読んだ。残念ながら2011年の『波』はいくつか欠けており、連載全部を読むことは叶わなかったが、それでも高峰秀子の「すごさ」については理解できた。
 こうなると高峰秀子に関する本が読みたい、そう思ってしまうんですね。そうなると矢も楯もたまらない。古書店に走って高峰秀子関連本を漁るわけですわ。
 1軒目で『高峰秀子の流儀』(新潮社)、『旅は道づれ雪月花』(文化出版社)。
 2軒目で『わたしの渡世日記(上)(下)』(文春文庫)、『おいしい人間』(文春文庫)、『にんげんのおへそ』(新潮文庫)。
 取りあえずこのくらいあれば禁断症状がでないだろう。とくに欲しかったものが『わたしの渡世日記』でこれを見つけた時には躍り上がらんばかりに喜んだ。これがストレス解消になる。

 その他にも心癒されることがある。
 2軒目で、前田速夫『白の民俗学へ―白山信仰の謎を追って―』(河出書房新社)を購入した。民俗学に多少の興味があるのと、白山は岐阜県と石川県境にある2700m級の信仰の山である。ワシャの第三の故郷が、この白山を主峰とする両白山地の麓にある関係で「白山」とあれば買い集めてしまう。
 3軒目で見つけたのが、杉森久英辻政信』(文藝春秋)だった。箱入りで、昭和38年発行である。ううむ、ワシャの手元に来るまで50年かかったわけだ。感慨深いのう……。
 ワシャは大東亜戦争・太平洋戦争にも興味がある。とくに先の戦争に関わった軍人のことについて知りたい。この「辻政信」というのは愚かなる指導者としてその名を残す陸軍の軍人で、かのノモンハンでの大敗北、その後の卑怯な振る舞いなどが有名である。だから迷わずに購入しましたぞ。
 さっそく読んでいくと、図らずも白山の地名が出てくるではないか。そうなのである。愚将辻政信は、石川県の南、白山の西麓にあたる山中温泉のそのまた奥の山間の集落で生まれてた。
 偶然だったが、こんなところで2冊の本がつながるのがうれしい。
 これは確信して買ったのだが、共同通信社社会部編『沈黙のファイル』(共同通信社)。これは伊藤忠商事の会長まで務めた瀬島龍三に関するノンフィクションである。瀬島龍三、知っている人は知っていると思いますが、陸軍参謀本部のエリートであり、なんと前述の辻政信の部下でもあった。卑怯なことでも辻の直弟子と言っていい。ここでもまた1冊つながった。
 蛇足に近いが、戸部良一日本陸軍と中国』(講談社選書メチエ)も、同時代を捉えているのでつながらないわけがない。
 その他にも歌舞伎、考古学、大相撲、古典、仏教、美術など、後部シートに収まりきらぬほど買ったおかげでストレスが雲散霧消したのだった。