自称「平成の信長(笑)」の弁明

 今、名古屋市が大騒ぎになっている。総選挙が不発に終わったので、というか、離合集散のお遊び仲間にすら入れてもらえず、あっちへ行ったりこっちにすり寄ったりしているうちに、自らが推した候補者はことごとく惨敗して消えてしまった。しばらくはしょげていたのだが、まぁ単純な人なだけに復活も早い。
http://www.asahi.com/national/intro/NGY201212310023.html
 朝日新聞はしみったれなので、登録しないと記事全文を読むことができない。気持ちよく公開すればいいのにケチ臭い新聞社だ。ま、そんなことはどうでもいい。総選挙が終わって暇になった河村名古屋市長、また目立つことを見つけてしまった。
名古屋城の「金シャチ復古」である。その上に、天守閣を木造で再建する案も言い出した。
 ううむ、朝日新聞の記事を読んで、しばし絶句してしまった。河村さんのこの思いつきでどれほどの市費が浪費されることだろう。金シャチの再復元だけでも3億円と言われる。おそらくその程度では済むまい。それに天守閣の再建などというものが加われば、交付団体である名古屋市の財源を大きく揺るがす事態になるだろう。
 そして、これが物事を知らない阿呆たる所以であるが、重要文化財のふすま絵の「竹林豹虎図」などを「本物の持つパワーは凄いんだわ。多くの皆さんに本物に触れてもらわミャー」と言いだした。つまり本丸御殿再建後は、本物を展示公開するんだとさ。これは文化財のことを知らない愚者の発言。そもそも多くの博物館では、貴重な文化財について室温管理、湿度調整がきっちりとされたガラスケースの中で展示をしているし、外に出すならば、レプリカを作成し、それを展示している。少なくとも当該ふすま絵を裸で展示すれば、作品への影響は計り知れず、傷みや剥離がすすみ大きなダメージを与えることは想像に難くない。財源のこと、文化財保護のこと、この両面から名古屋市の関係職員は大いに困っている。
 今回の総選挙前、国政に色気のある河村市長が石原慎太郎氏や小沢一郎氏の付近をうろうろし始めた。この行動を見て、多くの名古屋市の職員は「このまま国政へ転出してくれ」と祈るような気持ちであったろう。ワシャの知人にも確認したが、そういう雰囲気が市役所内部にあったのは事実だ。
 しかし、平成の信長を気取る自称大物市長は、形勢不利と見て国政には動かなかった。その結果、名古屋に居座ることになり、適当な玩具を発見してしまった。これが職員や市民に大きな負担として圧し掛かってくるのである。
 河村市長は28日の記者会見で総選挙の大敗北について「有権者に申し訳ない。残念だったというか、いかんかった」と弁明した。
http://mainichi.jp/area/news/20121229ddq041010015000c.html
 明確なビジョンを持ち合わせず、思いつきだけで行動すれば「全員落選」は自明の理であるが、それに気がついて反省するたまではない。単に「残念だった」だけなのだ。

「俺の方があの男よりは賢明である、なぜといえば、私達は二人とも、善についても美についても何も知っていまいと思われるが、しかし、彼は何も知らないのに、何かを知っていると信じており、これに反して私は、何も知りもしないが、知っているとも思っていないからである」
 ソクラテスの最後の弁明の一節である。続ける。
「少なくとも自ら知らぬことを知っているとは思っていないかぎりにおいて、あの男よりも智慧の上で少しばかり優っているらしく思われる」
 いわゆる「無知の知」という話である。これは、昨年の4月、不勉強ゆえに何の答弁もできなかった田中防衛大臣野田首相がかばって使ったことで人口に膾炙するようになった。もちろん野田さんの使い方は間違いである。田中大臣は「自分は何かを知っている」と思ったから防衛大臣を受けたわけで、「無知の知」があれば端から受けないって。
 横道に逸れたが、河村さんも同じことである。平成の信長でも平成のドブ板でもいいけれど、ミャーミャーさんは何も知らないのに、何かを知っていると信じてやまない。己をたのむことが強過ぎると言ってもいい。こういう人物がトップに居続けるというのは市民にとって悲劇だ。名古屋市民でなくて良かったと心から思う新年なのだった(笑)。