昨日の朝日新聞に「河村氏、どうする去就」という記事があった。河村たかし名古屋市長の残任期が半年となってしまった。ギャーギャーミャーミャー喚いていたが、はてさてどうまとめるんでしょうね、という話。朝日新聞はこう書く。
《「総理を狙う男」が看板だった河村氏も11月に68歳。来春の市長選で4選3期目を目指すのか、それとも国政復帰を図るのか。》
国会議員だったころから、まともに相手をする政党はいなかったので、総理を狙うというのはギャグである。河村氏、『おい河村!おみゃぁ、いつになったら総理になるんだ』(KKロングセラーズ)を出版しているが、スカスカの内容で、ワシャもブックオフで見つけて、とりあえず買ったけれども、まったく役に立たなかった。
人というのはおおむねその書いたものに比例すると思っている。ある本を読んで感銘を受けて、その著者に会うと「なるほどこういう人が書かれたんだ」と納得する。反対に、なんだかわけのわからないことを書き殴っている著者の講演を聞いても、なにも心に残るものがない。そういったことからも、本はその著者を体現していると思う。
河村氏も、実際の講演を名古屋で聞いている。その時は、橋下大阪府知事(当時)と大村愛知県知事も一緒だったが、橋下氏>大村氏>河村氏が明確に理解できた。
10月24日の日記にも書いたけれど、金美麗さんは「パフォーマンスが多すぎる!」と苦言を呈している。なにしろ有権者うけすることばかりやろうとする。それを辛坊司会者に「ポピュリズム!」と指摘されたのだが、それが松井知事の言う「一部のコアなファン」の強要望のためだけにやっている狭隘感が否めない。
《名古屋市 退任幹部が河村市長に次々苦言 あつれき隠さず》
http://mainichi.jp/articles/20160525/k00/00m/010/144000c
ちょいと古いニュースだけれども、この記事中にある写真の河村市長のシャツが似合わない。トップというのは常に格好良くなければ。わざわざ ぶざまな格好をして道化を演じる必要はない。
次々に側近たちが苦言を呈して去っていく。これは河村市長の徳のなさ以外のなにものでもない。
『おい河村!』にこんなエピソードが挟まっている。作家の室井佑月から電話があったのそうだ。名古屋のひつまぶし屋が超満員で「割り込むのに店主に電話と話をしてくれ」という連絡があったのだそうな。そんな電話をする室井も室井だが、それを受ける河村も河村である。結局、まともな人間のひつまぶし屋のオヤジは河村の口利きを突っぱねるのだが、こんなことをやっていることもバカだし、こんなことを書き残すのもバカとしか言いようがない。室井など知人のために口利きも厭わない。これが「一部のコアなファンのためのポピュリズム」と言われる所以なのである。