平成25年の謹賀新年

 明けましておめでとうございます。
 本年も引き続きよろしくお願いいたします。

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 昭和14年の元旦を一人の青年が迎えている。彼は日記にこう希望を綴っていた。
「新しい年があけた。私はもう二十七歳だ。二十七歳といふ自分のとしに驚いてしまふ。二十六歳の一年間は私の生涯で、平凡なその上で最も紀(ママ)念しなきやならない年だつた。私は長い試練の後順当な職につき獨立したのだ。(中略)私には良い豫感がある。明るく無事に過ぎてゆくやうな氣がする。」
 新美南吉という童話作家がいる。
 あるいは小学4年の教科書に載っている「ごんぎつね」の作者と言ったほうが通りがいいのかもしれない。愛知県半田市で生まれ、育ち、一時期東京に住んだ。その後、半田にもどって就職をするが、従業員を馬車馬のようにこき使う社風にあわず、病弱でもある南吉は苦境に陥っていた。それを救ったのが中学時代の恩師たちだった。南吉の素質を惜しみ、安城高等女学校の教師として再就職をさせたのである。
 このことについて南吉は「こうあっさりと人間は一つの運命から他の全然異なった運命に住みかえられるものか」と書き残している。
 南吉は本が読みたかった。ゆえに書籍購入費が喉から手が出るほど欲しい。しかし半田の会社では「社員のために蓄財をする」という社長の方針で手取りで16円程度しかもらえなかった。これが女学校の教諭に奉職し一気に70円となる。単純には言えないけれど、昭和15年のかけそばが一杯15銭だったので、現在600円くらいとして換算すると28万円くらいの価値のある月給だった。前の会社が6万4000円程度なので、その破格の昇給が理解できよう。
 本を買う金に困っていた南吉は、安城に来てふんだんに本を読める環境を得た。これが冒頭の喜びに満ちた日記につながっている。

 その南吉の生誕百年が平成25年、つまり今年である。半田市安城市では「新美南吉生誕百年」と銘打って年間を通じていろいろなイベントを実施していくという。南吉ファンにとっては楽しみな1年になりそうだ。