長い舌

 仏教はインドから発生し、アジア全土に伝播していった。西蔵、西域、支那……そして大和へ。
 ユーラシア大陸から雫が垂れるように仏教文化が日本列島に流れ込んだ。その滴り落ちた文化が、列島で窯変していく。日本の仏教文化の開花であった。
 百済観音と呼ばれる仏像がある。
http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E7%99%BE%E6%B8%88%E8%A6%B3%E9%9F%B3#mode%3Ddetail%26index%3D8%26st%3D0
 このフォルムの美しさはいかばかりであろうか。
 哲学者の和辻哲郎は『古寺巡礼』の中でこう評している。
《抽象的な「天」が、具象的な「仏」に変化する。その驚異をわれわれは百済観音から感受するのである。人体の美しさ、慈悲の心の貴さ、――それを嬰児のごとく新鮮な感動によって迎えた過渡期の人々は、人の姿における超人的存在の表現をようやく理解し得るに至った。神秘的なものをかくおのれに近いものとして感ずることは、――しかもそれを目でもって見得るということは、――彼らにとって、世界の光景が一変するほどの出来事であった。》
 
 かつて半島の国はこの仏像を「返せ!」と主張したことがある。その理由は「百済」という地名は朝鮮のものだから、その名を冠した仏像は自国のものだということらしい。勘弁してくれ。くだらないイチャモンをつけるのはよせ。そもそも百済観音は、朝鮮併合以降に日本に渡来したものではない。7世紀には法隆寺に存在した仏様である。それを「返せ!」と主張する感覚がまったく理解できない。
 百済観音の様式は確かに朝鮮半島を経て日本に渡来した。しかしその源は六朝時代の支那であり、さらにさかのぼれば西域よりガンダーラ、あるいは中インドまで達すると言われている。つまり朝鮮半島など素通りしたに過ぎない。この一事を見るだけでも彼の国が言いがかり国家である証左となる。
 そのあたりの経緯については、『古寺巡礼』はもとより、町田甲一の『大和古寺巡歴』(講談社学術文庫)にも詳しいのでご一読をお薦めしますね。

 さて、百済観音様式の故郷の支那である。もって行き方がいささか強引だがご容赦願いたい。
 六朝の頃から政治体制の変わっていない支那中国は着々とアジア征服戦略を現実化している。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121127/chn12112720010008-n1.htm
 上記のニュースの「牛の長い舌」を支那中国に押さえられたら、日本を含む健全なアジア諸国の海運は大きな打撃をこうむるだろう。
 さすがは大人の国家、仏の故郷のインドだ。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121203/asi12120320090001-n1.htm
 動きが迅速である。こういったすばやい牽制を積み重ねていって、古代専制国家さながらの軍事国家を封じ込めていく。
 それでもインドは海軍力が脆弱らしい。だとするなら、あるいはインド海軍に日本の海上自衛隊のノウハウを使ってもらってもいいし、造船の技術を輸出してもいいだろう。親日のインド、タイ、フィリッピンベトナムなどと連携して、長い舌を垂らす暴牛を封じ込めなければならない。

 昨日、東三河豊川市で呑んでいた。一昨日は友だちと豊橋の駅前で呑んでいたので、連日、東三河に行っているなぁ……。
 昨日は、数名の自衛官と会っていた。もちろん226の相談ではない(笑)。知り合いの中隊長が何人かいて、その人たちと忘年会をしていたのだ。
 そうそう、中隊長といえば実戦に際して、とくに損耗率の高い階級と言われているんですね。最前線であれば、数十名の集団の先頭にあって常に突出しなければならない役割を担う。その中でも、もっとも前にいるのが中隊長の立場なのだ。そういった行動のとれない中隊長はダメリーダーの烙印を押されてしまう。
 少なくとも、昨日、会食した中隊長は、最前線で突出することのできる資質をもっていると信じる。
 そんな彼らがこんなことを言っていた。
「12月10日から勤務外でも飲酒禁止なんですよ」
「え、なんで?」とは聞き返さない。だって10日といえば、北朝鮮がミサイル発射を予告した期間の初日でしょ。そのくらいはアホなワシャにだって解かりまっせ。
「12月10日より自衛隊員は不測の事態に備え待機せよ」
 この命令が、沖縄周辺の自衛隊だけでなく、全国の防人たちに発せられた。愚かな北のミサイルごっこに際しても、国民の安全を死守するために、忘年会をキャンセルしてくれているのである。
 よし!ワシャも12月10日だけは酒を呑まずに不測の事態に備えよう。1日だけだけどおつきあいします。

 別の中隊長とは、東日本大震災の救援活動について話をした。彼も50人の部下とともに、災害直後から被災地に入って諸々の活動を行ってきた。何度か被災地を眺めてきただけのワシャなんかとは貢献度が違う。
 被災地の話の中には、とても口にできないような悲惨な話もあった。こういったことは絶対にマスコミから流れてこないが、現実を知らしめたほうがいい。もちろん多くの健全な国民は、あの大災害に際して自衛隊の貢献に多大なる感謝をしている。しかし、本当のところをもっと知れば、感謝は敬意になって、口が曲がっても自衛隊の予算を削減しようなどとは言えなくなるだろう。それほど過酷な現場を彼らは救ってきたのである。
 途中、ワシャが1冊の本の話をした。『自衛隊員が撮った東日本大震災』(マガジンハウス)のことである。あの中に小学生が描いた「自衛隊さん いつもありがとう」という横断幕があった。その話をした瞬間、中隊長は涙をこぼした。
「あれはうれしかったです」
 この中隊長が見た横断幕は本に載っていたものとは違う。しかし、あちこちの被災現場で同様な感謝の気持ちが示されていた。そのことを中隊長は思い出したのだろう。いかつい男の涙に、ワシャももらい泣きをした。男が二人泣きながら呑んだ酒は少し塩っぱかったけれど美味かったなぁ。

 食糧にまわしたほうがよっぽどいいどこに落ちるかわからないミサイルを飛ばす独裁国家にしろ、百済観音を返せと言ったり、竹島を不法占拠しているいいがかり国家にしろ、アジアの海はぜんぶオラのものだと主張する古代帝国にしろ、日本のまわりは危ない連中ばかりなのだ。
 このなかで辛うじて日本人が誇りを失わずにいるのはは、向かい風の中、顔を上げ毅然と立っている防人たちの存在があるからではないだろうか。
 自衛隊に好意を示すと「右翼!」と言われた時代が長かった。だが、自衛隊の貢献を真摯に考えてみれば、彼らに感謝するのは当たり前だし、敬意をもって接するのは健全な日本国民の正しい姿ではないか。

 最後にまた百済観音にもどる。『大和古寺巡歴』から引く。
終戦直後、韓国より返還要求の文化財リストに、真っ先に挙げられていた。これに対して、百済観音の材になった樟木(くすのき)は、日本特産の木で朝鮮には産しないから、この百済観音は朝鮮出来の舶来の像ではない、ということで、日本でつくられた仏像であることが日本人学者によって主張された。》
 特定アジアの国々と付き合っていくためには、言うべきことは言うという確固たる信念を持たなければ身ぐるみ剥がれると思った方がいい。
 終戦直後のどさくさに紛れて、大切な百済観音をだまし取られなくてよかった。言うべきことを言った学者さんに拍手を送りたい。

長い舌ではなく、長い話におつきあいくださってありがとうございました。